805話 インドシナ・思いつき散歩  第54回


 船に乗る 1日目


 船着き場に走った。エンジン音が轟いている。船は2艘留っている。ここが始発であり終点なので、両方ともルアンパバン行きだろうとか想像したが、念のためにルアンパバン行きかどうか確認し、料金を払って、乗り込んだ。2艘の船ともにほぼ満席。乗客は30人ほどいるか。私が乗ったすぐあとに、走ってきて乗った客が数名いた。手に手に、ビニール袋入りのバゲットサンドイッチと大きなペットボトル入りの水を持っている。私は食料持っていないが、船を下りて今から買いに行く時間はない。しばらく食わなくたって、死にはしない。水は、少し持っている。乗り物に乗ったら、ほとんど飲まず食わずというのはいつものことだ。
 船はすぐに動きだした。乗員は、30代後半の夫婦(たぶん)。夫が操舵、妻が補助する。アジア人とわかる客は3人。日本人の私と、たぶんラオス人の男がふたり。あとの30人ほどは西洋人旅行者。平均年齢はざっと観察して、30歳前後だろうと推察した。私が最年長だろう。40代は、ちらほらいる。不幸にして、ガキグループが陣取る船先部分の空席に座ったために、騒ぎまくる一派の中に取り巻かれることになった。不愉快だが、ほかに空席はない。タイのチャオプラヤーを走る船のように、間隔が狭い木の長椅子が並び、大柄の西洋人にはつらいだろうと想像していたが、長距離バスのリクライニングシートを転用した椅子が並び、窮屈さはまったくない。揺れはほとんどない。快適。
 ひとりが、携帯用のスピーカーを取り出し、船の柱に取り付ける。携帯用オーディオ機器を接続し、船内に音楽を流し始めた。幸い、船は屋根だけの解放空間なので、音が室内にとどまることはない。エンジン音が轟くなか、若者の携帯オーディオにどんな音楽が入っているのだろうかと耳を澄ますと、当然ながら、知っている音楽はまったくない。1980年代以降、ラジオ番組を選んで聞くようになったので、いわゆるヒット曲,「全米トップ40」とか、「グラミー賞受賞」といった類の音楽にまったく縁がなくなり、それでも東南アジアを旅していれば、路上のテープ屋からヒット曲が大音量で流れていて、マイケル・ジャクソンや、マドンナや、ライオネル・リッチーなどの歌声を絶えず聞くうちに、曲名も覚えてしまったが、21世紀には東南アジアもCD時代に入り、路上に音楽があふれる時代は終わった。ありがたいことに、川面に流れ出した音楽は、ヒップホップでもアンビエント・ハウスでもなく、可もなく不可もないロックだが、もちろんこの手の音楽も聞いたことがない。楽しい音楽ではないが、憤死するほど嫌ではない。
 いま下っている川を、日本ではメコン川と呼んでいるが、この名は誤りだ。バンコクを流れている川を、かつてはメナム川と呼んでいた。「メナム」あるいは「メーナム」というのは川を意味する普通名詞だから、「メナム川」では「川川」になってしまう。この川は、正確には、メーナム・チャオプラヤー、つまり、チャオプラヤー川というのだが、「長くて面倒」だと思った外国人は、いつのころからか「メナム川」と呼ぶようになった。ここ20年くらいからか、「メナム川と呼ぶのはおかしい」という意見が大勢を占めるようになり、ガイドブックなどでも「チャオプラヤー川」とするのが普通になった。
 「メコン川」というのも、正確にはタイ語でメーナム・コーン、あるいは省略してメー・コンといい、ラオ語でもメーナム・コーンだ。その結果、「メーコン」が川の名だと思った外国人が「メコン川」と呼ぶようになった。日本語にするなら「コン川」が正しいのだが、「メナム川」の場合と違って、訂正されることなく現在に至っている。こういう事情を知っている人は、慣用との折衷案で、「メコン」として、「川」をつけないという方策を考えた。ちなみに、この川の名をタイ人が好きな方法でローマ字表記すると、MAEKONGとなる。だから、私の名MAEKAWAをタイ人が読むと、「メーカワ」になってしまう。
 右岸に大きな岩が見え、流れが速くなると、旅行者の一人が床に転がっていた棒の先に小型カメラを取り付けて、船の外に突き出して固定した。そのカメラはテレビ番組でもプロがよく使うGoPro(アメリカ製カメラ)だろう。この旅行者が仕事で撮影しているわけはないだろうが、あとで動画投稿でもするのだろう。
 船が海を走るときは「航海」になるのだが、川の場合は何というのだろう。「航行」と言うしかないのだろう。しだいに川幅が狭くなり、水面に岩が姿を見せるようになった。
 船の航行スケジュールなど、まったく知らないまま乗った。船着き場に船が留っていたから乗っただけだ。
 「ルアンパバンには、何時に着くか、知ってる?」
 私のすぐ隣りに背を向けて座っているラオス人に聞いた。その返事に驚いた。
 「プンニー・・・・」(明日)・・・)
 「ええ、明日!?」
 「そう、明日。きょうはパックベンに泊まって、明日の朝出発する」
 私とて、渡し船に乗った気分ではなかったが、手元にある唯一の資料である地図を見れば、1泊2日もかかる距離だとは思えなかった。きょうの夕方か夜にはルアンパバンに着くのだろうと、なんとなく思っていた。急ぐわけではないが、今日着くのか、明日着くのか、24時間の誤差は精神的に大きい。