船に乗る 2日目
その夜は、たまたま隣りの席だったという縁で、そのラオス人とパークベンの安宿で同じ部屋に泊まった。彼は40歳。ルアンパバン郊外の村で育つ。仕事がないので、フエサイに出稼ぎに行き、久しぶりに帰省するところだという。家族はフエサイにいるので、親兄弟に会いに行くのだという。この男、40歳の丹波哲郎という感じの顔つきで、生真面目そのものだった。
翌朝、また船の人となる。たまたま早めに乗ったからか、今度は騒がしい若者たちとは別の船になり、静かな船旅となった。川面に輪ができている。渦潮のようなものかと思ったが、どうも川底から勢いよく水が噴出しているようだ。右岸は岩だらけで、船頭は見えない道を選んで進んでいる。川の中央なら安全だというのは甘い認識らしく、船は時々左岸の浜すれすれに寄って進む。右岸から岩が中央に迫っているのだろう。水底の形がでこぼこだから、夜は航行できないことがよくわかる。ときどき、高速船は唸りを上げて進んでいく。こちらが路線バスだとすれば、暴走オートバイのようなスピードだ。小舟は船底が浅いので、川底にそれほど気を使わなくてもいいのだろう。小さな釣り舟も見える。勢いよく進んでいるが、よく見るとエンジンがついてない。水流が早いということだ。
大きな岩があるところで船が止まり、4人の若者が船を下りた。あたりは岩と林以外なにもない。船着き場もない。人の手が加わった物はなにひとつ見えない。家の姿も見えない。たぶん何かあるのだろうが、私にはわからない。若者たちは林の中に消えて行った。
旅行者を観察するというのも私の趣味だ。船内の旅行者たちを眺めて意外だったのは、デジタル度が高くないことだ。小さなリュックからノートパソコンを取り出して、10分ほどいじっていた人がいたが。カメラを除けば、ゲーム機を含めて船上でデジタル機器を手にしている旅行者はいない。紙の本を広げている人が多いのは予想外だった。
ロンリー・プラネットの”Southeast Asia on a Shoestring”は、1000ページもある弁当箱本だ。こんな厚くて重い本を持ち歩いている旅行者が何人もいた。デジタル版は当然軽いが、高い。旅行中に古書として安く買えるなら、あるいは旅行者に譲ってもらったのなら、持ち歩くだろうなどと想像したが、重くても読みやすさと重視して紙の本を選んだのかもしれない。
向かいの席にいる大学生風の若者が、本を広げている。表紙がときどきちらりと見える。“INTO ・・”のあとの文字が手に隠れて見えないが、この場と彼の年齢を考えれば、その本は想像できる。ジョン・クラカワーの”INTO THE WILD”だろう。日本では『荒野へ』(集英社文庫)として翻訳されているし、映画化もされている。放浪にあこがれてアラスカで餓死した若者のノンフィクションだ。同じ著者の似たタイトル、”INTO THIN AIR”はエベレスト登山の本だから、船旅をしている現状を考えるとたぶんその本とは違う。
コン川の船旅をしている若者は、本を閉じて、深呼吸した。表紙が見えた。やはり、”INTO THE WILD”だ。残りのページはほとんどないから、読み終えたら感想を聞こうかと思ったのだが、読み終えて、本をバッグにしまったら、隣りにいた女が抱きつき、愛の時間が始まった。本を読んでいる間ほっとかされた欲求不満が爆発した。女は、「自分たちの時間」を待ちわびていたのだろう。話しかけるチャンスはない。
このふたりからちょっと離れて厚いペーパーバックを広げている男がいる、30前後だろう。本の表紙は時々見えるが、遠いのでよく見えない。文字がやたらに多い表紙だ。男が本を持ち上げて読み始めたので、表紙の文字が読めた。著者の名はわかった。
Alexandre Dumas
デュマの本だが、書名は小さくて読めない。しかし、例えすぐ目の前でその本を見ても、デュマを1冊も読んでいないので、「ああ、あれか」とはならない。フランス語の本か、それとも英訳されたものか、ほかの言語なのかもわからない。私は小説を読まないから、旅行者と本の話で盛り上がることはない。日本人旅行者ということで、村上春樹や『スラム・ダンク』の話を持ち出されても、何も言えない。
4時過ぎにルアンパバン郊外の船着き場に着いた。水量が少ないので、ルアンパバンの世界遺産地区のすぐ下の乗り場までは行けないそうだ。ここからは、トゥクトゥク(三輪自動車)で行くことになる。
「弟が車で迎えに来るから、ちょっと待っていてくれ」と、この船旅をともにしてきたラオス人、「丹波哲郎40歳」が言う。「今日は、ウチに泊まってくれ」という誘いを断ったら、街まで送るという。昨夜の夕食は私が支払った。ひとりで食べても料金はあまり変わらないからだ。その礼をしたいのだろうが、「そんなことはいいよ」。
20代なら、こういう好意にすぐに甘えて、しばらく居候を決め込むのだが、好意を心苦しいと感じるようになり、「宿代を払えないわけじゃなし」と勝手気ままな方を選ぶ。居候して、ラオス人の日々の暮らしを見せてもらうのは楽しそうだが、同時に、自分のリズムとペースで動けないことのいらだちも想像できて、「ひとり」を選んでしまう。こういう点では、私の旅は年齢とともに明らかに変わってきている。