818話 国籍の変?


 久しぶりに旅行記以外の文章を載せる。ちょっと前にでかい疑問にひっかかって、本を次々に注文し、図書館で借りた本を読み、次々と論文を読み、仕事でもないのに、カネとヒマのかかる作業をしていて、ちょっと忙しい。いつもの道楽だが、手間がかかるので発表するまでにはまだだいぶ時間がかかる。6月になるかもしれない。そこで、しばらく別の話題を続ける。
 新聞を読んでいて、「?」と思うことがある。「カナダ国籍の男を追っている」というのと、「カナダ人の男を逮捕」というのがあって、「カナダ国籍の男」と「カナダ人の男」はどう違うのかわからない。もちろんカナダが重要ではなく、どこの国でもいいのだが、カナダ国籍の男は、すなわちカナダ人のはずだ。逆にいえば、「カナダ人とは、カナダ国籍を持っている人」のことなのだから、両者を言い分けるのはおかしい。しかし、実際にこういうふたつの表現がある。
 で、考えた。「カナダ国籍の男」というのは、「カナダのパスポートは持っているが、本物かどうか疑わしい」とか、「パスポートは真正だが、その取得方法に疑惑がある」といった疑わしいことがあるので、はっきりと「カナダ人」だと言えないということか。こういう表現方法は、新聞社が決めたものではなく、警察発表そのままのはずで、ということは、警察に何かの考えがあるということか。
 考えてもわからないので、さてどうしたものだと考えているときに、ある講演会で顔なじみの新聞記者に出会った。外信部の記者だから、きっと真実を知っているだろう。
 「さあて」と彼は考えた。そういう事実に気がつかなかった、初めて聞く話だという。「新聞をよく読むと、出てきますよ」と言った。私が読んでいるのは朝日新聞で、彼は朝日のベテラン記者だ。ほかの新聞では、私の疑問のような表現の違いがあるかどうか知らないが、朝日では確実に、ある。
 「たぶん、想像ですがね・・・」と話し出した内容は、私の想像とまったく同じだった。
 「でもね、事件じゃなくても、『カナダ国籍の・・・』という表現は使うんですよ」というと、記者は「うーん」と唸ってしまった。
振りだしに戻って、また自分で考えた。例えば、セネガル出身のフランス人音楽家がいたとする。彼がアメリカ国籍を取ってアメリカに住み始めたら、「アメリカ国籍のセネガル人音楽家」という表記はありうると思う。
 朝日新聞に、「Re:お答えします」という欄がある。記事に関する疑問や意見を書くと、記者が答えるという欄だ。そこに質問を送ると数日後、記者から返信メールが来た。
 「そういう疑問に答える欄ではないので、取り上げられませんが、私の個人的感想ですが・・・」とその記者の「国籍」に関する意見が書いてあった。それは私の想像と同じで、朝日外信部ベテラン記者の想像と同じで、つまり「その外国人が疑わしい場合は、○○の男」などと書くのではないかというものだった。だから、この問題は、私の想像を超えていない。
 青色発光ダイオードの発明でノーベル賞を受賞した中村修二は、アメリカ国籍を取得しているから、正確にはアメリカ人で新聞やテレビなどの習慣では外国人はカタカナ表記にする。だから、原則通りに表記すれば、ノーベル賞受賞者はシュージ・ナカムラと表記する。日本人にとっては、「アメリカ人研究者」ではなく、「アメリカ国籍の日本人研究者」と呼びたいところだろう。