819話 「美味しんぼ」はちょっとおかしい


 ブックオフに行くと、マンガ『美味しんぼ』を立ち読みすることがある。108円の本だから、じっくり読むわけではなく、さっとチェックする程度で、何かおもしろそうな話題でもあれば買って読む。食文化の教科書として、このマンガはけっこう役に立つのだが、文字どおりの参考文献・教科書の意味ではなく、反面教師とでもいうか、校閲あるいは「間違い探し」のテキストとして有効なのだ。ウィキペディアにも、このマンガの間違いや問題となった個所が取り上げられているが、そういう批判の目からなぜか抜け落ちた間違いもある。雑誌掲載時からいくつものバージョンで単行本になり、それでも訂正されなかった誤りがある。食文化に限ったことではないが、何かの勉強をするときは、こういう校閲遊びをやると、間違いを証明するために調べ物を綿密にやらなければいけないので、けっこう役に立つのだ。すでにこのコラムでは、348話で韓国、641話と642話で米の話を取りあげている。
 さて、今回はまず「思い出のメニュー」(「美味しんぼア・ラ・カルト」第7集)から。食文化の話題ではなく、法律だ。特に法学部出身の方はじっくり読んでください。
 西ドイツの豪華客船「ライン」のメイン・レストラン・シェフ寺杉由夫(38歳)が今回の主人公。中学のころからグレて、少年院に入っていたこともある。19歳のときに横浜のドイツ料理店「ハンザ」で働き始めた。24歳になったころ、幸せに暮らしているのを妬んだ少年院時代の仲間益田が、「過去をばらされたくなかったら、カネを出せ」とゆすってきた。「強盗をしてでもカネを持ってこいと迫る益田。
 「私が断ると、益田は私に殴りかかってきました。私は益田を振り払いました。酔っていた益田は足をすべらせて転倒し、床に頭を打ってあっけなく・・・。私は思いもよらぬ殺人罪を犯してしまったのです」
 「私は懲役10年の刑を受けて・・・」
 法律に疎い私でも、これは殺人罪にはならないことはわかる。殺意はないのだ。殺意がなければ、刑法210条の過失致死罪だ。罰金50万円以下。情状酌量の余地ありと判断される事件でもある。10年の刑だったとすれば、「足をすべらせて・・・」という説明がウソだということになり、殺そうとして殺した故殺、つまり殺人罪ということになる。
 そしてもうひとつの疑問だ。懲役10年の刑を終えたのは34歳。「出所してから料理の世界に戻り、ドイツに渡ってドイツ料理の修業をして、こうして『ライン』のシェフになることができました」というのだが、出所後4年でドイツの豪華客船のシェフになっているというのは、どうかなあ・・・。「マンガだから、そんなのいいじゃない」ということか。
 次は、食文化の話なので、正誤は単純だ。テキストは「対決!! スパゲッティ」(『美味しんぼ』第25集)。
 食文化に深い知識があるということになっている主人公山岡士郎が、こういうウンチクを語る。
 「スパゲッティを作るには、普通の小麦を使ったんじゃ、あのモッチリシコシコしたコシが出ない。デゥラム・セモリナ種の小麦でなければだめなんだ」
 「アメリカやオーストラリアでも、デュラム・セモリナ種の小麦を作っているよ」
 ウソつけ。世界のどこの国でも、「デュラム・セモリナ種」の小麦など栽培していない。そもそもそういう種の小麦などないからだ。パンやうどんなどに使っている小麦は、パン小麦とか普通小麦などと呼んでいる。一方、スパゲティーに使う小麦は、デュラム小麦という。硬質小麦なので粉にはせずに、ひき割りにする。極小の粒だ。この引き割りを「セモリナ」という。「デュラム・セモリナ」というのは、「デュラム小麦を引き割りにしたもの」という意味だ。だから、デュラム・セモリナを栽培している国などないのだ。ちなみに、このデュラム・セモリナはスパゲティーのほか、北アフリカのクスクスやパンにも利用する。モロッコの円盤状のパンがうまかったという話は、この雑語林652話に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/maekawa_kenichi/20150101/1420077804
 士郎と父海原雄山とのスパゲティー対決、雄山は自信たっぷりに言う。「麺はもちろん自家製です」。おいおい、ラーメンじゃないんだよ。スパゲティーはデュラム・セモリナを使った乾麺のことだから、自家製だと手打ちパスタになり、そもそもスパゲティーではないから、対決にならないのだ。
 「イタリア対決!!」(「美味しんぼア・ラ・カルト」第30集)では、イタリアの食品見本市に行く。コメの展示を見て、士郎が説明する。「ジャポニカ米やインディカ米、ほかにもいろいろ種類があるぞ」。
 さて、ほかの種類の米とはどういう米のことだろうか。士郎こと原作者の雁屋哲は、ジャポニカ、インディカ、コシヒカリササニシキ、アキタコマチと言うように、並列に考えているんだろうか。「いろんな形の米がある」というなら正しいが、上に引用したセリフはまずい。