アジアや旧ソビエト地域などで見かけるしゃがみ式便器は、日本のしゃがみ式と同じように床と同じ高さに設置されたものと、床から20〜30センチくらい高く設置してあるものがある。前者は日本人にも理解できるが、後者は「和洋折衷か?」などと書いている人が多い。ヨコタ村上氏はアジア事情には疎いようで、リトアニアで見かけた後者の便器を「ユーラシア式」と名付け、「こうなると、腰掛け式としゃがみ式のトイレの区別はずいぶんとあいまいになってくる」と書いている。
世にトイレ本は数多いのだが、「調査と記録が多く、考察が少ない」という傾向がある。これは食べる話でも同じで、料理の写真は多いが、食文化に言及したものは少ない。
日本で腰掛け式便器を設置する場合、床に顔を出した排水パイプに便器をはめ込んで、床と止めれば完了する。その後、この便器をしゃがみ式にしようとしたらどうなるか。便器を埋め込む部分に必要なだけ、床を掘り下げるか、床を高くしないといけない。
これがタイの便器の場合、次のブログの写真のように、床埋め式と床乗せ式の両方があることがわかる。左側の便器は、床を少し高くして、便器が床面と同じ高さになるように設置してある。右側の便器は、床を先に張ったため、便器を埋めることができず、床から立ち上がった形になっている。これを「後置き型」と言ってもいい。
http://thailandnaliaht.com/thailand_travel/extra_episode/restroom.html
建築工事で、便器を床に埋めることをあらかじめ考えている場合は、床に穴をあけておく。1階なら簡単にできるが、2階以上の家、集合住宅では床に便器を埋める穴をあける余裕はない。床と同じ高さになるように、便器を埋めるのはほぼ不可能だ。そういう場合や、どういう便器を使うのかわかっていない場合は、床を先に作ってしまう。そのあとに便器を設置するなら、どうしても床に便器を置く方式になってしまう。あるいは、日本にもあるように、便器部分の床を高くしてしまう。このように。
http://sure16.blog.fc2.com/blog-category-23.html
さて、机の上に積んである本の話に戻る。『旅の流儀』(玉村豊男、中公新書、2015)は、「旅行読売」に連載したものをまとめた本。私は「旅行読売」を読むような旅行者ではないので、そういう読者向けの内容に「なるほど」と思うこともなし。読もうとして、途中で止まっているのが、『蔵書の苦しみ』(岡崎武志、光文社新書、2013)。ベトナム本などに夢中となっていると、こういう不要不急の本は後回しになる。そういう事情とは違う意味で、買ったが読んでいないのが、『センセイの書斎』(内澤旬子、河出文庫、2011)。なぜ読んでいないかと言うと、細かい手書き文字とイラストを、とてもじゃないが読む気に慣れないのだ。西原のマンガでも言えるのだが、単行本を文庫にすると、イラストの文字も縮小されて、老眼鏡を使っても読みたくなくなる。本屋で見つけて、パラパラとページをめくり、「よし、買った!」と思ったのだが、こういう失敗は時々やる。だから、文庫版のマンガはできるだけ手を出さない。
台湾の本が3冊、机の上にある。『台湾のいもっ子』(蔡徳本、集英社、1994)は、サブタイトルが「日本語で書かれた戦後台湾本省人(いもっ子)の隠された悲劇」とあるように、国民党政府に弾圧を受けてきた本省人の自伝的小説。読んでいるときに、読まなければいけない仕事の本をまとめて読み始めたので、台湾の本は中断したままになった。今は亡き台北の中華商場が舞台の小説で、この訳者が手掛けた本なら間違いなしだと思い買ったのが、『歩道橋の魔術師』(呉明益、天野健太郎訳、白水社、2015)。しかし、買って失敗。私はファンタジー小説が読めない。そもそも小説が嫌いなのだ。同じ白水社の台湾本、『台湾生まれ日本語育ち』(温又柔、白水社、2015)は、台湾生まれ日本育ちの作家が綴った言葉のエッセイ。これはおもしろかった。日本語教育を受けた祖母、中国語教育を受けた母、そして日本で暮らす台湾人の著者と、三世代の言葉の話を、麗しい文章で綴られている。中国語の会話も出て来るので、多少なりとも中国語がわかると、よりおもしろい。「この本は、間違いなく、名品である」と思いつつ読み進めると、後半になっても前半の趣旨の繰り返しで、グダグダ感がぬぐえない。第3章の「永住権を取得した日」だけが、内容も、下手な翻訳調の文章も、ひどい。そのわけを探ってみたら、この本は白水社のウェッブサイトで連載していた文章を書籍化したものだが、この「永住権を取得した日」だけは、「早稲田文学」に書いた文章だった。研究者たちに喜ばれる文章を書こうとすると失敗するという悪い例である。6月4日、この本が日本エッセイスト賞受賞作と報じられた。
おっと、本の山のふもとに『枕草子』(角川文庫)があった。じつは、これは、昨年のインドシナ旅行に持って行った文庫の1冊。半分読んで、止まっている。帰国したからだ。こういう古典の文庫を持っていけば、1冊あれば長持ちするという思惑だったのだが、いつものように、旅先ではほとんど本は読まなかった。旅行中に、活字中毒の発作が出ると怖いので本は何冊も持っていくが、ほとんど読まない。その地で読みたいと思って選んだ臨場読書用の本を除けば、本はほとんど読まない。散歩をしているか、話をしているか、日記を書いているか、妄想を楽しんでいる方が、本を読むより楽しいので、持っていった本をほとんど読まないのだ。