832話 机の上の本の山 その5

 『黄昏のトクガワ・ジャパン』(ヨーゼフ・クライナー編著、NHKブックス、1998)を、本の山から取り出した。
 日本人がもっともよく知っているシーボルトは、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)だが、在日英国公使館の通訳もやった長男アレクサンダー・ゲオルク・フォン・シーボルト(1846〜1911)と、在日本オーストリアハンガリー大使館の外交官だった二男のハインリッヒ・フォン・シーボルト(1852〜1908)も、日本と深いかかわりがある。この本では触れていないが、父シーボルトの娘楠本イネ、そして孫の楠本高子(山脇たか)がいる。娘の話は『ふぉん・しいほるとの娘』吉村昭新潮文庫、1993)に詳しい。この娘と孫の物語は、いずれ大河ドラマになるかもしれない。
 さて、ドイツ人の好奇心の話だ。この本の内容をわかりやすく言えば、「シーボルトの異国憧憬とその時代」である。ドイツにまったく興味がなく、ドイツ語を学んでみたいと思ったこともなく、ドイツに行きたいと思ったこともない私が、論文や学術書も含めてドイツ関連の資料をまとめて読むようになったのは、「ドイツ人と旅の関係史」を知りたかったせいである。おそらく、現在の世界の安宿で、もっとも多い旅行者は、地域の違いを考慮に入れて平均すれば、国籍別でいえばおそらくドイツ人だと思う。私の体験と想像と伝聞による想像なのだが、宿では、ドイツ語とドイツ語訛りの英語をよく耳にする。地球上に、旅するドイツ人が多いのだ。ドイツの教育制度(大学の授業料はタダだ)や社会福祉制度なども関係するのだが、旅を重要視する歴史がドイツにはあったのだろうかという疑問である。ドイツの名家の生まれで医師(医学博士)としてドイツで優雅に暮らせるのに、オランダ人医師と偽ってはるばる日本に行ったシーボルトは、どういう時代に生きていたのか。この疑問を、このNHKブックスは教えてくれる。
 シーボルトが抱いていた異文化への興味は、18世紀のドイツの潮流であった。当時のドイツ、そしてヨーロッパにはムゼオグラフィー(博物館学)が元になったようだ。博物学はもちろん知っていたが、博物館学と言うのは知らなかった。異文化の物の収集が盛んになり、博物館が生まれる。収集のためには、秘境への旅行を学問的に考えるようになる。その部分を要約して紹介しよう。
 1762年、ヨハン・ダーヴィッド・ケーラーは『旅する学者のための手本』を出版した。そのなかで、「旅する人は、まずはじめに博物館を訪れることが旅を実り多きものにする最良の手段である」としている。ケーラーはまた、1749年にゲッティンゲン大学で「旅学」の講義を行なっている。その後任のシュレーツァーは定期的に「陸路および海路の旅行」についての講義を行ない、そのなかで、旅をすることの主な目的を二つはっきりと定義している。「旅する第一の目的は、まず多くの物事を自分の目で確かめ、自分の個人的な体験とすること、そして第二は、著名な研究者および政治家と個人的な接触をもつことである。また、コレクションを収集する場合には、数よりも明確な目的を持つことが大切である」と強調した。また、「旅する国を綿密に研究すべきである。そこで見ること、聞くこと、集めること、そしてそれらを記録することが大切である。そのためにはその国の言葉を身につけ、その国の文化に『潜む』ことが大切で、そして個人的な体験をすることである」としている。シーボルトが日本に行き、膨大なコレクションに励んだのは、この時代が「博物館学」の時代だったからだとわかった。
 興味深いことに、ドイツはスペインやポルトガルと違い、大航海時代に植民地を持っていなかった。それなのに、地理学や民族学文化人類学)の先頭を行く研究者が現れ、「旅学」を大学で教えていた。それが、18〜19世紀のことだ。今もドイツという国に興味はまったくないが、旅行研究の先駆者としての興味はあり、中世の遍歴職人から現代のバックパッカーまでの「ドイツ人とその文化」が気になって、次々と本を買い、読んでいるのである。
 机の上にあるもうひとつの本の山は、近々このコラムで書き始めようと思う新たなテーマの資料だ。買い集めた本と、コピーした論文が積んである。予告しておこう。火野葦平の旅である。喜ぶ人はいないだろうが、調べてみると、けっこうおもしろいのですよ。