841話 神保町で火野葦平に出会う  その9


 中国旅行の話は、原稿用紙300枚で書ききることができると火野は考えた。しかし、書いているとどんどん伸びて、終わらなくなった。全行程は書かないまま単行本にしている。その理由は、「これならこれでいいいか」と思い、加筆して合計300枚程度で一応の完了と思ったのではないか。その理由を、私はこう考えた。
 団員ではない人の登場がヒントだ。登場人物を仮名にする。あるいはもしかするとモデルさえない虚構かもしれない人物を登場させた理由はなんだろう。文中、火野を「戦犯」と批判する常見なる人物が団員名簿にないことが気になっていた。架空の団員として「常見さん」を登場させて、戦争物で売れっ子になった小説家火野葦平自身を批判する。単行本『赤い国の旅人』の「後書」にこういう文章がある。
 「前に兵隊として、また報道班員として中国各地を歴訪した私は、普通のルポルタージュや視察記ではなく、自分の精神の問題としての旅行記、また一個の文学作品となるような魂の記録にしたいという意図があった。しかし書いてみるといろいろの事情で不備だらけになってしまって、大切なテーマをとり逃がしたような気がする。しかし、それにもかかわらず「赤い国の旅人」はどうしても書きのこしておきたかったものとして、今は満足している」
 私はこの作品を旅行記だと解釈していたのだ。ノンフィクションだと考えていた。だから混乱していたのだ。実は通常の旅行記ではなく、旅行記風小説なのだ。別の言い方をすれば、ルポルタージュ風小説といったほうがいい。火野が書きたかったのは紀行文ではなく、自分たち(日本人)と中国であり、自分と中国であり、戦争と自分である。だから、旅の全日程を書くことに、たいした意味はないのだ。
 火野の気持ちを想像する。中国に、なじみの土地は多い。何度もぶらついた路地裏があり、そこが今どうなっているのかという興味があり、懐かしさもある。しかし、懐かしく思ってはいけないという自戒の念もある。自分の過去に苦しめられていた。北京の中国作家協会の事務所で文学者座談会の司会をやることになったときのことを、こう書く。
 「やむなく引きうけたが、私はひどい気遅れを感じていた。私が『日本鬼子兵』の一人であり、『麦と兵隊」』その他の筆者であるという自覚ははじめから私の心を重くしていたが、文学者の座談会となると、かならずその問題も出ると想像され、私は文字通り針の筵(むしろ)に坐る心地であった」
 中国では。火野の心は重かった。自分の過去を見つめて、心が重い。それに加えて、現在の中国が、心が重い気分にさせる。ハーバード出会った小田実の話(このコラムの、その4)で書いたように、中国はたしかに昔よりは豊かになっているが、監視が厳しくなった気がする。自由がなくなってきた。通訳が口にする政府の公式発表に、「新中国には、乞食も売春婦もいない。バクチも泥棒もいない」なんてウソだと、火野は知っている。新中国を知れば知るほど、気が重くなるのだ。
中国滞在中のある日、包装紙として使われた新聞紙の記事に目が止まる。瀋陽で108人を密告した女性が表彰されたという記事だった。
 「密告というものは陰惨なものであるが、新政府は革命目的達成のために、大いにこれを推奨しているようだった。私のような旅人でさえ、つねに誰かに監視されているような重苦しさにとざされているのだから、そこに住み暮らしている人たちの不安感はどんなものだろうか。私などは考えただけでもやりきれぬ思いになる。つねになにかを警戒し、つねに相手を疑っているような日常坐臥というものが、人間の幸福や自由の裏づけとなることができるだろうか」
 あるいは、こういう文章もある。
 「私は自由を求めたい。平和を求めたい。私は新中国を天国とも地獄とも考えないが、真の自由と平和を求める者の住みにくいところだとは思うようになった。すばらしいことが一杯あるのになぜ住みにくいのか」
 ハーバードでの、小田実とのやりとりを思い出す。火野が体験した、中国に暮らす人の息苦しさ重苦しさを小田は理解できなかった。あるいは、理解したくなかった。そういう小田だから、のちに北朝鮮礼賛の本を書くことになる。
 常見という架空らしき人物が、火野を「戦犯」と批判する構図は、火野の遺作となった『革命前後』を連想させる。この小説は、別名だが著者本人が主人公で、復員兵から「国威発揚に努めて金儲けをした小説家」と批判されるシーンがある。自分を批判する人物の登場は、自分のなかのもうひとりの自分が、兵隊小説を書いてベストセラー作家になった男を見つめているということだ。