842話 神保町で火野葦平に出会う  その10


 朝日新聞社版の『赤い国の旅人』を買った理由のひとつは、北朝鮮旅行記があるとわかったからだ。1955年に、北朝鮮支持者ではない日本人の手による旅行記があるなら読みたいと思った。この本には、「板門店」と「北鮮女性点描」の2作が収められている。
 アジア諸国会議に出席したのは、34名の団員と2名のオブザーバー。その中から、28名が中国に招待されて、帰路中国に行った。そして、そのなかからさらに10名が招待されて北朝鮮に行った。まだ海外旅行が自由化されていない時代は、渡航費や滞在費がタダになるこういう招待はできるだけ受けていたと、開高健も書いている。ベストセラー作家も、こういう手段で海外旅行をしていたのである。
 平壌に行く前の気持ちを、火野はこう書いている。
 「昔の満州から朝鮮に入るとすれば、私の旅情は楽しいどころか、さらに息苦しいものになるにちがいない。それが私の魂の試煉とすれば私は歯を食いしばって出かけて行こう。自分の目で真実をたしかめたいという気持ちは、拷問に似た憂鬱ややりきれなさをも厭わないほど強い」
 危惧していたことだが、北朝鮮紀行2編を読んでも、おもしろさは感じなかった。さまざまな人の名が登場するが、朝鮮事情に疎い私の感情に訴える人物はいない。ただ、例外的に、無知な私でも知っている人物、舞踊家の崔承喜(さい・しょうき)の話がでてくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%94%E6%89%BF%E5%96%9C
 彼女の舞台を東京で見ている火野は、また見たいと思っていたが、「地方に行っている」ということで、会えないという返事だった。ところが、「歌と踊りの夕」も招待されて行くと、日本人一行のために地方から急きょ戻ってきたという。そういうエピソードを書いている。
 私が傍線を引いた個所は、朝鮮戦争に関することだ。朝鮮戦争は1950年におこり、1953年6月に休戦となった。火野が北朝鮮に来たのは、休戦からまだ2年後である。
朝鮮戦争は、北朝鮮が韓国に侵略したのがきっかけだと火野は信じている。北朝鮮に来ると、当然、誰もが「韓国軍が侵入してきた」といい、同行の日本人も左翼の人物はその説に完全に同調する。だから、簡単に同調しない火野を「アメリカの謀略にひっかかった」と非難した。「私は李承晩大統領もアメリカのやり口も好きではないけれど、それだからといって南鮮が先に侵略したといいきる勇気はない。といって、北鮮から侵入を開始したということも私には自信がなくなった。知りたいのは事実であるが、今はその事実を知る術がない」
 この時点で、火野にはどちらが先に侵攻したのか本当のところはわからない。だから、火野の態度は正しい。見たものは信じるが、見ていないものは断言しないという態度だ。『昭和三十年代演習』(関川夏央岩波書店、2013)によれば、朝鮮戦争勃発時は、「日本のマスコミは,十分に戦争準備をした北朝鮮軍の奇襲によって戦争が始まった、と常識的な報道をしていました。しかし、昭和三十年代なかばから、韓国の北進が戦争の発端だった、という人が出てきます」と書いている。
 これで、神田神保町の古本屋でたまたま出会った火野葦平を巡る本の旅は終える。寄り道ばかりしていたので、おそらく、このコラムの読者にとっては退屈だったかもしれない。ちょっと前までの私の認識だった「火野は時代遅れの古臭い小説家」という認識の人には、火野の話はそもそも興味がなかったかもしれない。しかし私にとっては、いままでまったく気にもかけていなかった人に集中的に付き合うことになり、その時代を探った時間は、なかなかに楽しいものだった。知りたいことが次々に出てきて、調べれば自分の無知を再確認し、だからこそ余計に知りたくなった。小説好きならば、このまま火野の小説を読み続けることになるかもしれないが、私はもうこれ以上深入りしない。また机の上に本の山ができて、そういった本に刺激されて、書きたいことがどんどん湧きだしてくる。
 さて、次回から、何を書こうか・・・。