850話 韓国、女のひとり酒 その5


 何度でも書くぞ、韓国食文化の話 後編

 近頃、韓国の映画やドラマを見ていると、従来の大きなステンレス製の茶碗に代わって、陶磁器の小さめの茶碗を見かけるようになったことだ。例えば、こういう食器だ。
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 秀吉の文禄慶長の役で、朝鮮に渡った武将が朝鮮人陶工を日本に連れてきた通称「やきもの戦争」によって、日本の陶芸が発達したのだが、ここ数年は韓国で日本風の陶器が使われるようになったという印象がある。日本の飯茶碗の登場もそのひとつの例だ。日本料理の普及が、日本風陶磁器の普及という副産物も生んだ。
 おかずが大量にある現在、相対的に食べる飯の量は減っている。昔のように、大きな蓋付きステンレス製飯茶碗や白い磁器の丼では大きすぎる。日本の茶碗ほどの大きさがちょうどいいという人が女性を中心に増えて来たということだ。
 韓国版「深夜食堂」は日本料理店ではないが、茶碗は陶器だ。そして、箸もさじも木製だ。韓国版「ワカコ酒」である「私に乾杯」でも、韓国料理店以外では木の箸を使っている。韓国では「資源保護」を名目に割り箸は禁止されたのだが、塗り箸が静かなブームなのかもしれない。
 さて、その箸だ。韓国で使っている箸がほとんど金属製だということで、もっともらしい解説をする人が多い。「もとは銀の箸だった。毒が入っていると銀の箸は色が変わるから、暗殺を恐れた人が、銀の箸を愛用したのです」というのだが、全朝鮮のなかで、暗殺を恐れた王侯貴族が何人いたかを考えていない発言だ。朝鮮のすべての民が銀の箸が使えるはずもないことは、簡単にわかりそうなのに。金属の器も箸と同じ理屈で説明する。暗殺されないように銀の器を使った習慣の庶民版は、真鍮の器なのだという。しかし、真鍮とて安くはない。自分で作るわけにはいかないのだ。
木は近所にいくらでもある。箸とさじなら、素人でも作ることができる。椀は職人の道具と腕は必要だが、金属加工よりは簡単で安くできる。陶磁器が誰でも手軽に手に入るようになるのは、かなり後の時代になってからだ。
 日本では長らく木製の食器を使ってきたが、鎌倉時代には、武将や貴族などが陶器の食器を使うようになった。江戸や大坂の商人が「せともの」を使えるようになるのは江戸中期から、町人が使うようになるのは江戸後期だろう。農山村にまで「せともの」が普及するのは、明治以降ということになる。つまり、明治に入っても、貧農は木の器を使っていた。『写真でみる日本生活図引』(須藤功編、弘文堂、1988)を見ると、戦後でも事情によっては、瀬戸物の飯茶碗ではなく、木の椀に飯を盛っていたのがわかる。
 そう考えると、朝鮮の農山村に住んでいる人が、古くから金属や陶磁器の器と金属の箸を当たり前に使っていたとは思えない。日本と同様に、木製の食器を使っていたはずだ。金属や陶磁器の器が普及するのは、だいぶあとになってからだろう。資料が探せなくてよくわからないのだが、もしかすると20世紀後半になってからかもしれないと、素人は想像している。朝鮮も、都と農山村の落差が大きいから、王侯貴族の食生活の知識で、全土の食文化を語ってはいけない。
 こう考えると、「金属の器だと、熱くて持てないから、置いたまま食べるのだ」という説も怪しくなる。木の椀なら、熱くない。現在、「これが韓国の食事の仕方です」と紹介されているのは、両班(韓国語読みなら、ヤンバン。一応、特権階級と説明しておこうか)の「望ましい食べ方」であって、下々の民の実際の食べ方ではない。だから、「器を持たずに食べるのが、特権階級が考える上品な食べ方です」という説明は正しいが、「韓国人は、決して器を手に持って食事をすることはありません」という説明は間違いだ。
 両班にはそれなりに「理想的な上品な食べ方」という規範があり、それが今日「韓国人の食事の仕方」だとされているのだが、「下々の民」たちは両班の規範とは関係なく、自由気ままに食事をしていた。それが、器を手に持ち、器に口をつけて汁を飲むという食べ方だ。もしかすると、サジもあまり使わない食事だったかもしれない。両班の食べ方が、「建前」であり「外食、宴会」のマナーであり、下々の民の食べ方が、「本音」であり「家庭や飯屋や屋台」での食べ方だから、外国人観光客や企業駐在員たちの眼には触れない食べ方なのだろうと思う。だから、「本音の食べ方」は、インテリの韓国人や韓国通を自認する日本人たちにはなじみがない。そして、そういう「下品な」食べ方を、「韓国人の食事の仕方」として認めたくないのだ。韓国人の家庭での食事の一例として、ドラマ「棚ぼたのあなた」のシーンを紹介しておこう。次のブログの最後の写真をご覧あれ。少なくとも3人が、左手に飯茶碗を持っている。
 http://blogs.yahoo.co.jp/doitabi_mu_ban/15167785.html
 こんなことを考えたきっかけは、タイだ。タイ人は、日常ウルチ米を食べる中部や南部ではスプーンとフォークを使い、モチ米を食べる北部や東北部では手で食べる。汁麺は箸で食べる。そう思っていたのだが、ある時、地方都市の安ホテルの従業員たちが、インド人のようにウルチ米の飯を手食しているのを見て驚いた。「うちでは、いつもこうして食べているの。外じゃスプーンだけど」。のちに、友人の家に行って食事すると、家族全員が手食だった。地域によっては、飯屋で食事をすると、スプーンとフォークで食べるが、家庭では手で食べるという使いわけがあることを知った。つまり、「内と外」、「家庭と外食」で食べ方が違うという例を知って、韓国人の食べ方を考えたのである。
 韓国の食文化の話は、今回で終了。