855話 昭和の実感 その4

 後楽園球場


 安い外野に座り、野球を見たのだろうが、知識も関心もないから、どういう展開になっているのかわからない。遠すぎて選手の動きはよくわからないが、よく見えてもなにもわからない。そもそも、どことどこの対戦かも知らないのだが、知ったところでやはりどーといこともない。球場に行こうと言った友人は並みの野球ファンで、並みのアンチ巨人ファンだったようで、「つまんない試合だなあ」とイライラしていて、8回が終わったら、「もういい、帰ろう」と席を立った。野球に未練のない私も立ち上がった。球場を出たところで、場内の大歓声を聞いた。球場が割れた揺れた。
 「おいおい、大逆転かなあ。出てきて、失敗だったかなあ」と、ヤツは苦笑いした。翌日、日常まったく見ない新聞のスポーツ欄で逆転劇を確認した。巨人の逆転負けだ。そういうことがあったから、野球を見に後楽園球場に行ったことだけは覚えていたのだ。
 野球を知らないから、数々の資料の力を借りて、私がプロ野球を初めて見たころを調べてみる。野球ファンなら当然知っていることだが、私の知識は白紙のノートなのだ。
 この後楽園野球見物をした1972年は、かのV9時代だったとたった今知った。あの日に見た試合の投手はだれかわからないが、野手は私でも知っている名前がある。王・長嶋の現役時代を見ているということになるのか。あの日たまたま欠場ということでもなければ、私は王・長嶋を見たらしい。高額の席に座っていれば、私でも王・長嶋の顔がわかり、名前と顔が一致しただろうが、ほかの選手なら遠くから見ようがすぐ近くで見ようが同じことだ。
 昭和の記録映像でよく取り上げられる「長嶋引退セレモニー」は、のちに昭和史モノのテレビ番組で何度も見ているのだが、その年が1974年だということを、たった今調べてわかった。その年の初夏から晩秋まで、私は日本にいなかったので、重大ニュースだったに違いない「長嶋引退」報道そのものも知らない。
 長嶋が引退した年の秋、私はインドにいた。カルカッタのパラゴンホテルで珍しく日本人旅行者に会い雑談をした。そのひとりが、「日本から来たばかりのヤツから聞いた話なんだけど、佐藤栄作ノーベル平和賞を受賞したらしい・・・」と言い出すと、「まさか」、「ウソだろ」、「悪い冗談」と誰ひとり信用しなかった。「田中角栄が首相を辞任。次の首相は椎名悦三郎」というニュースはみな信じた。帰国してから、ノーベル賞の話は本当だったとわかったが、そのことによって、日本ではノーベル平和賞の権威はまったくなくなった。
 1974年秋には、そういう出来事があったのだ。1974年は、昭和49年だが、私の意識にはすでに「昭和」はない。1970年代に入ってから、元号は使わなくなった。日本史といっしょに世界史を考えると、元号は不便だからだ。
 ちなみに、1975年と野球の話は、すでに雑語林の139話に書いている。
 http://www.ryokojin.co.jp/6f/maekawa/zatugorin131_140.html