動く姿を知らない有名人
どのラジオ局でも、「夏の終わりのハーモニー」(井上陽水&玉置浩二)が絶えず流れていたのに、9月に入ると一斉に「September」(EW&F)に変わって、きょうだけでも4回耳にした。まるでバブル時代だ。この歌は、「12月の今、9月のあの夜のことを君は覚えているかい?」という内容だから、実はクリスマスの頃に流すのがふさわしいのだが、それはともかく、昭和の実感の話の続きを。
戦前から活躍していた芸能人でも、戦後も活躍していれば、いわゆるナツメロ番組や紅白歌合戦やバラエティー番組などで、歌う姿やしゃべる声を聞いている。淡谷のり子や近江俊郎やディック・ミネなど戦後も長く活躍した人はもちろん、田谷力三(1899~1988)や神楽坂はん子(1931~95)も覚えている。しかし、トップクラスの歌手でありながら、その顔を知らず、歌っている姿の記憶がない人もいる。
例えば、小畑実だ。だいぶ前に、「日本の音楽と外国」をテーマに調べごとをして、小畑実が朝鮮半島出身者だということはわかった。「涙のチャング」(1950)で、朝鮮戦争で混乱する朝鮮を歌っていることを知った。チャング(両面太鼓)やオモニ(母)など歌詞にいくつもの朝鮮語が出てくる。ネット情報には、「その出自を隠していた」とあるが、こういう歌を歌っているのだから、隠していたわけではないだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=gzV0D4cBEAU
小畑は1957年に芸能界を引退し、77年に再デビューするものの79年に亡くなっているから、私は同時代に小畑を体験していない。全盛期はテレビ放送がやっと始まったころだ。ずっとあとになって、NHKのラジオ深夜便で小畑の歌を聞き、いくつかの歌に聞き覚えがあることがわかったが、次のこの歌は、ちあきなおみを聞いてから、オリジナルを知った。Youtubeのおかげで、歌っている姿を初めて見ることができた。
https://www.youtube.com/watch?v=_q65dn4kevM
https://www.youtube.com/watch?v=JeCNMRAu6TU
この「昭和の実感 その2」の、日本レコード大賞のところで触れたように、もしも私が1997年のレコード大賞授賞式会場にいて、その年の特別賞受賞者として小畑実が舞台に立って受賞しているとすれば、私は動く小畑実を見たことになるのだが、さっぱり記憶がない。
かつてトップクラスの歌手だったが、歌う姿に記憶がないもうひとりの歌手が、岡晴夫(1916~70)だ。歌手としての全盛期は昭和で言えば20年代までだったらしい。だから、小畑実と同じように、ラジオ時代の歌手だったから、いくつかの歌と名前は知っていても、歌っている姿に記憶がないのだろう。
日本人の海外旅行史研究の一環として、「音楽や映画の外国」も研究テーマで、岡晴夫「憧れのハワイ航路」(1948 )や、その類似品である小畑実の「アメリカ通いの白い船」などは当然チェック済みだったが、それ以上の調査はしなかった。今から十数年前のある日、新聞のテレビ番組表を見ていたら、映画「憧れのハワイ航路」(1950)をその夜放送することを知った。花菱アチャコと美空ひばりが出ているということは知っていたが、この映画で初めて、歌う岡晴夫を見た。それ以上に、「おお!」と驚いたのは、動く姿を見たことがなかった有名人、古川ロッパ(芸能人としては、ロッパ。文筆家は緑波の名を使った)が出演していたことだった。昔からロッパがコメディアンだということは知っていたが、その芸は知らず、エッセイストとしてなじんでいた。『古川ロッパ昭和日記』(全4巻)など出色の作品だ。この大作を、私は嬉々として読んだ。ロッパは1950年代後半ごろまでが活躍時代で、その後病気が悪化し61年に亡くなっている。やはり、テレビの時代には出遅れたのだ。
この映画では、戦後短期間だけ営業していた輪タクが登場している。三輪自転車のタクシーだ。写真では見ているが、この映画で東京を走っている姿を見ることができたのは幸運だった。
岡晴夫やロッパにしても、もしかしてテレビで見たが、覚えていないだけかもしれないが、それを言い出すときりがない。たまたま見る機会がなかっただけかもしれない。三島由紀夫は、あの最後の日の演説ではなく、インタビューを受けている姿を初めて見たのは数年前だし、つい先日はアメリカ人と英語でしゃべっているシーンを見た。ちゃんとした英語をしゃべっているのを見ながら、三島と同世代の作家で、このくらいの英語ができる者がどれだけいるかなあなどと考えていた。