866話 中国人観光客の行状を嘲笑する前に 前編


 昨今、中国人観光客の「爆買い」や行儀の悪さがマスコミの話題となり、反中国勢力を喜ばせているのだが、バブル経済に踊っていた時代の日本人の海外旅行を知っている人は、ノー天気に中国人を笑っていられないはずなのに、「ニッポン万歳マスコミ」は過去を忘れている。あたかも、「日本人は昔から現在までつつしみ深い旅行者だったのに、中国人ときたら・・・」とでも言わんばかりの報道だ。中国人の行動を擁護しようという気などさらさらないが、以前書いたように「日本人完全無欠思想」にもとづく他人批判は見苦しいのだ。
 1980年代後半から90年代のバブル時期以前でも、日本人観光客の行状は日本のマスコミで批判的に取り上げられていた。俗に「農協ツアー」(農協のツアーに限定したものではないが)と嘲笑されたものがあった。日本人団体旅行者たちが、腹巻から札束を出して買いまくり、御乱行に及ぶとマスコミは非難したのだが、その非難の裏側には、「百姓が土地成金になりやがって、分不相応に海外旅行なんかするんじゃねえよ」という都会のサラリーマンの、羨望と軽蔑の感情が入り混じっていた、と私は見る。日本人旅行者の行儀の悪さは、1973年版の「観光白書」に項を設けて報告している。
 1970年代には、こういう「農協ツアー」と並んで批判されたのが、若者たちの「無銭旅行」だった。「乞食みたいな恰好をして、北欧やパリやロンドンをうろついているやつらは、日本人の恥だ。なんとかしろ!」という内容の記事が週刊誌に出ていた記憶がある。どの雑誌の記事だったかは、今は面倒だから調べないが、深田祐介『新西洋事情』(1975)にも、そのような批判がある。
 保守の政治家や評論家たちは若い旅行者を非難したが、ぼつぼつ問題が表面化してきた売春ツアーに関してはなにも言及しなかった。
 今も昔も、私は金を持った旅行者とつきあいはないが、70年代のある日、香港の免税店で見た光景が今も記憶に残っている。噂に聞いた「免税店」というものはどういうものなのかという興味があって、空港でのヒマな時間を利用して「免税店観光」をしている時だった。日本語の怒鳴り声が聞こえた。
 「こんな安モンじゃなくて、高いのを持って来いって言ってんだろ。一番高いのを持ってこいよ。カネならあるんだからよう」
 中年の男は、上着の内ポケットからむきだしの100ドル札を取り出して、店のガラスの上に1枚1枚並べていった。100ドルが3万円ほどしていた時代だ。
 バブル時代の日本人観光客がどういう行動をしていたのか、私は直接の遭遇はないが、マスコミを通じて見聞きしている。パリのブランド店で、日本の国会議員がネクタイを100本ほどまとめて買っていったとか、日本人客が多すぎて入店制限をしたブランドショップがあったとか、日本人が来ると商品がたちまちなくなるので、日本人団体客は入れないという店があるといった噂を聞いた。すべて事実ではないかもしれないが、すべてウソでもないだろう。映像では、ブランド店の紙袋を両手にいっぱい持って、パリやローマの道を歩いている日本人女性の姿は何度もテレビで見た。フランス人女性の、「あんな若い娘が、高い店で買い物をしているなんて、なんの仕事をしているのかしらね?」と思わせぶりなコメントも紹介された。「買わなければ、損」、「買い物で憂さ晴らし」という時代だったのだ。
 「あの頃はいい時代だったよ」と、タイ人の友人は言う。彼は若い頃はバンコクの土産物屋に勤めていて、日本語を覚えた。日本語ができれば売り上げが上がり、歩合で彼の収入も増えた。
 「あの頃は、宝石でも家具でも、何でも売れたんだよなあ。日本人は今はケチになって、もう買わないよ。カネを使わない」
 1990年代後半あたりから、日本人は爆買いをしなくなった。「高額の物も安い物も大量に買う」という時代から、「雑貨やTシャツや食料品など安い物を少し」という時代になった。旅先のスーパーマーケットで買い物をする日本人が増えた。