871話 本人が思っているほど幅広くはない


 言語学者黒田龍之助の本はかなり読んでいる。読みやすいのはよくわかっているので、言葉の本を探しているとついつい買ってしまうのだが、読めばちょっと腹が立つ。
 黒田は高校時代からロシア語を学び始め、大学ではロシア語を専攻し、ロシア語教師となったものの、「ロシア語ひと筋」という生き方ができない。
 「世界には面白そうな言語や文化がたくさんある。とてもひとつには絞れない。いろいろなことをやるのが歓迎されないことは分かっているけれど、これがわたしの選択なのだ」
 「いろんな言語が好きだし、いろんな言語がたくさんあるのが、にぎやかで好きだ」
 「多言語を目指したい」
 『その他の外国語』(現代書館、2005)にはそういうことが書いてある。ロシア語だけでなく、ウクライナ語やベラルーシ語などスラブ語の研究をやり、ドイツ語もフランス語もイタリア語も、もちろん英語もできるようになった。ロシア語に集中しろと非難されようが、わたしは幅広く言葉を学びたいというのが、この本の主張である。
 黒田の本を最初に読んだ時から気になっていることは、本人が「多言語学習者だ」「いろんな言語を学んでいる」という自負とは裏腹に、「それほど広くないじゃん!」というのが私の感想だ。
 「最近、英語以外の外国語を学ぼうとする人がどんどん減っているような気がする」(75ページ)
 資料がないので想像だけで言うが、フランス語やドイツ語やロシア語学習者は減ったかもしれないが、韓国語やタイ語や中国語学習者は昔と比べればはるかに増えていると思う。外国語の教科書の出版点数を見る限り、外国語学習者は総数という問題になるとわからないが、学ぶ外国語の幅は増えているのは確かだ。いままでの、西欧語一辺倒の流れが変わっているのだが、西欧語しか学んでいない黒田は気がつかない。
 外国語の発音について、「フランス語は発音が難しい」という意見に対して、「『発音が難しい』というのは『綴りと発音の関係が難しい』という意味です」と書いている。難しい発音の話で、中国語やタイ語などの声調言語(声の高低などによって意味が変わる言語)の話はまったく出てこない。アフリカのコイサン諸語の発音を考えろとは言わないが、西欧語とは違う発音システムが脳裏にない。
 言語学者黒田は、もちろん世界の様々な言語の概説を読んでいるはずだが、外国語に関する文章を書くときには、西欧語のことしか頭に浮かばないようだ。外国語と海外旅行の項で、「地図は現地語の綴りで表記してあるものを探しておいたほうがいい」と書いているが、ローマ字表記だから知らない言語でも地名や道路名ならわかるでしょという考えは、欧米中心思想だ。黒田は、ギリシャに行く前にギリシャ文字を読めるようにしておいたと書いているが、黒田が専門とするロシア語のキリル文字ギリシャ文字を基にしているのだから、この言語学者にとってギリシャ文字は屁でもないだろう。「現地語の綴りで・・」というとき、クメール語タミル語の地図のことは、きっと考えもしなかったのだろう。
 そういう人だから、外国語を学ぶ面倒くささや難しさを書くなかで、すでに書いたように声調言語の話はでてこないし、文字を学ぶ話も出てこない。ビルマ語やチベット語ヒンディー語を学ぶなら、文字そのものを覚え、読み方を学ばないといけないのだが、そういう話はでてこない。キリル文字ラテン文字を使わない言語のことは、あたまのなかからすっかり抜け落ちているらしい。
 ある機関への研究費申請の書類には、専門分野の言語欄に「日、中、英、独。仏、その他」になっていて、ロシア語は「その他の外国語」に分類されていると知ったことからこの書名、『その他の外国語』が浮かんだというのだが、黒田にとって「その他の外国語」とは、英独仏以外の西欧語を意味しているらしい。
 だから、「多言語学習を目指す」とは言っていても、本人の頭にある言語は、本人が思っているほど多言語でも広い世界でもない。
 黒田の著作を読む限り、黒田は西洋言語学習マニアなのだろうと思う。学習のための学習なのだ。学んだ言語で誰かと話をしたいとか、ある事情を調査したいという熱意を感じないのだ。外国の学校にひと月ほど留学したという話はでてくるが、学んだ言葉でどういう会話をしたという話はあまり出てこない。現地の詳しい話も出てこない。言語の話は出てくるが、その言語を使う人の話はほとんど出てこない。旅の感覚も、滞在記の感触もなく、「勉強しました」という結果報告でしかない。
 外国語学習マニアには、「中国語を学べば将来仕事で役に立つ」とかいった目的を持って外国語を学ぶのは、いかがわしい行為に見えるようだ。言語は道具だという考えは不遜で、外国語を学ぶことが目的だという態度が崇高と考えているらしい。だから、言語の話は出てくるが、その言葉を使っている人たちの暮らしの話は出てこないのだ。
 そういうマニアの話を一般読者相手にされても、困るよなあというのが私の感想である。