876話 イベリア紀行 2016・秋 第1回

ポルト


 鉄の橋が好きだ。美しい鉄の橋を見ると渡りたくなってしまう癖(へき)というものが私にはあって、サンフランシスコのゴールデン・ゲイト・ブリッジの下を船でくぐったら、もっと近くで見たくなり、目の前で見たら渡りたくなり、歩いて渡った。帰りはバスで渡ろうと思ったのだがバスはなく、2800メートルの橋をまた歩いて戻ってきた。歩いている人はいても、陸地から数十メートル程度のことで、それ以上歩く人は自殺者だろう。そこは、飛び降り自殺の名所だ。だいぶ前に、そんなことをした。
ポルトでも、橋を歩いて渡った。
 ポルトガル第2の都市ポルトは、私の好きな街のひとつだ。またいつか来たいと思いつつ14年がたった。私の感覚では「ちょっと前」くらいにしか感じないのだが、2002年以来だから、それ以来の14年は短い期間ではない。それでも、アジアと違ってヨーロッパの、それも「経済発展著しい」といった表現からはかけ離れているポルトガルなら、50年前も14年前も大した変りはないと思っていたのだが、いやいやだいぶ変わった。
 ポルトで一番好きな景色は、ドウロ川にかかるアーチ型の2階建て鉄橋ドン・ルイス1世橋だ。1887年に完全開通した鉄のこの橋がある風景が、私にとってポルトであり、日本でこの橋の写真を見ると、たまらなく行きたくなるのだ。そのドン・ルイス1世橋のちょっと上流にかかるドナ・マリア・ピア橋も同じ年の完成で、設計者はギュスターブ・エッフェル。まったく同じ時期に完成したパリのエッフェル塔の設計者として有名な人物だ。ドン・ルイス1世橋の設計は、そのエッフェルの弟子のテオフィロ・セイリグだ。
 14年前に、ドン・ルイス1世橋を歩いた。全長400メートルくらいだから、往復してもたいしたことはない。川にかかる橋をのんびりと渡るのだと想像していたのだが、車の往来が激しかった。トラックがスピードを出して走っていくすぐ脇を、橋の手すりにせいいっぱい身を寄せて、風圧に耐えながら車と接触しないように注意して歩いた。歩道はあるが狭いので、大型車には注意して歩かないといけない。そうやって橋を渡り、対岸からも橋を眺め、2時間ほど遊んだのだが、橋を歩いている酔狂な者は私ひとりしかいなかった。
 そして今、あれから14年後の2016年、橋の上にはざっと眺めて100人、あるいはそれ以上の旅行者がカメラやスマホを手に、歩きながら写真を撮っている。かつての車道は線路になっていて、地下鉄の地上部分になっている。それが、ポルトの変化を表す象徴的な風景だった。
 最新のガイドブックを見てまず驚いたのは、地下鉄の路線図だった。地下鉄などあるような街ではなかったのに、これはどうしたことか。『最新 世界の地下鉄』(財団法人日本地下鉄協会編集、ぎょうせい発行、2005)で調べてみると、ポルトに最初の地下鉄ができたのは、2002年12月だ。私がポルトを訪れた翌月のことだ。正確にいえば、地下鉄ではなく地下も走る路面電車(ライトレール)ではあるが、開業時の1路線から、現在では6路線に増えている。
 変わらないと思っていたポルトガルもスペインも、大きく変わっていた。政治や経済の構造の変化が観光産業に大変化を及ぼしたのだということが、今回のイベリア半島の旅でよくわかった。
 とはいえ、そもそもイベリア半島に来る予定ではなかったのだ。めまぐるしく変わる私の気まぐれのせいで、長い長い紆余曲折を経て、ひょんなことからイベリア半島を旅することになっった。



「数年前にポルトガルに来ているのに、14年ぶりだなんて記憶と現実が混乱しているのでしょう」と、かの、天下のクラマエ氏は、私の記憶についてツイッターに書いているが、2年前はアンドラからカタロニア、アンダルシア、モロッコと旅したので、ポルトガルには行っていない。だからと言って、旅行人社主の記憶力を非難する気はない。他人の旅行歴なんか、私だって覚えていない。それどころか、自分の旅行歴だって、よく覚えていない。スペインで、「スペインは、これで何度目ですか」と聞かれて、「3度目」と答えたものの、スペイン旅行の話を詳しくしているうちに、4度目だと気がついて話のつながりがおかしくなった。そういうものです。