884話 イベリア紀行 2016・秋 第9回


 リスボンの宿

 14年前は、リスボンの宿を歩いて探した。リスボンに着いてすぐ、市内地図を見ていて、「宿の窓にはデージョ川が広がる」というのがいいなとひらめき、何の情報もないまま、コメルシオ広場から川沿いにアルファマ方面に歩きだした。リスボンは1755年の大地震で壊滅したのだが、アルファマ地区だけは奇跡的に被害が少なかった。だから、古いリスボンはアルファマに残っている。私がアルファマ方面で宿探しを始めた理由が、それだ。
 しばらく歩くと、背は高いが古ぼけた建物の5階ベランンダに、ペンションだったかホステルだったか、手書きの看板が見え、位置的にはテージョ川に面して建っているので、絶好のロケーションだ。建物にもちろんエレベーターなどなく、荷物を持ったまま5階まで上がり、呼び鈴を押すとおばあちゃんが出てきた。私を招き入れ、何かしゃべりながら部屋に案内して、「どう?」という顔をして、私の反応を待った。大きな窓を開けると、眼下にはバス停のような路面電車の小さな終着駅。線路が、ループを描いて方向転換ができるようになっている。その向こうに対岸に渡るフェリーボート乗り場。そして、視界を遮るものなど何もなく、テージョ川が広がっている。対岸がかすむほど、川幅が広い。このあたりだと、対岸まで7キロか8キロくらいはあるだろう。眺望だけは、超高級ホテル並みだ。古い建物だから、木製のガラスの両開き扉をあけると、小さなベランダがある。古い窓枠越しに見るテージョ川もいい。
 期待していた以上の風景だ。文句はない。片言ポルトガル語で料金交渉をした。安い。これ以上安い場所は、ゲストハウスのドミトリーしかないだろう。個室なのにこれだけ安い理由は、たぶん、もぐりの民宿だからだろう。パスポートのチェックはない。カネを払っても領収書なし。しかし、部屋の管理は行き届いていた。
 この部屋の窓から、朝も昼も夕刻も夜も、川のリスボンを見ているのが好きだった。ある時、暴風雨があって、まるでバンコクのように見る見るうちに道路に水がたまっていき、低地に住んでいることを実感した。そういう光景も、この窓から見ていた。川側の入り口から入ると、5階まで階段を昇るのだが、裏口から出ると1階なのだ。崖に建っているから、表と裏で段差がそれだけある。裏口を出て坂をほんの少し登ると、リスボンの観光写真には必ず登場するサント・アントニオ教会やカテドラル、そして展望台に出る。
リスボンにいい印象を持った理由のひとつは、この宿での体験があるからで、いつかまたこの宿に泊まりたいと思っていたが、今回の再訪では泊まれないことはすでにわかっていた。私がかつて泊まっていた宿の隣りには、くちばしの家(Casa dos Bicos)という有名な建物があって、壁を隔てた隣りが私の部屋だった。愛するわが安宿が有名建築物の隣りにあるということで、インターネットでも簡単に検索ができる。出発前に画像検索してみると、シミだらけで、長らくおんぼろの家だったかつての「我が家」は、今は黄色く化粧直しされていて、安宿を示す看板はなくなっている。もう安宿はなさそうだ。


中央が「くちばしの家」その右の5階が、かつてのわが宿


 工事中でうまく全景がとれなかったが、ジャカランダの満開には間に合った。



 だから今回は、安くていい宿をインターネットで探した。土地勘があるので、探しやすい。その結果選んだのは、高級ホテルが立ち並び、日本大使館がすぐ近くにあるが裏町という宿だった。立地条件で選んだのではなく、料金と交通の利便性で選んだのだ。実際に泊まってみると、管理が行き届いていて、気持ちのいいスタッフが揃ったいい宿だったのだが、難点がみっつあった。ひとつは、看板が小さく見つけにくかったこと。独立したビルではなく、日本風にいえば、マンションの2階がホテルになっている形式で、マンションの名札もないからわかりにくい。だから、その宿に行きつくのに時間がかかった。難点のふたつ目は,急坂だ。電動アシスト自転車でも登れないんじゃないかと思える急坂を上り下り、荷物を持って目的の宿を探して歩き回った。10月なのに、全身汗びっしょりになった。散歩を終えて宿に戻るときも、うんざりしていた。難点のみっつ目は、環境だ。静けさという点では、住宅地という環境は申し分ないのだが、宿のすぐそばにカフェやバルがほしい。
 リスボンは坂の町である。リスボン散歩を楽しみたいなら、体力のあるうちにやっておかないといけない。大通りはゆるやかな坂だが、そこから脇道に入ると、急坂、階段が続く。リスボン散歩の必需品は、石畳の急坂を歩ける靴と体力と「坂だから散歩をやめようか」とは思わない好奇心だ。