885話 イベリア紀行 2016・秋 第10回


 リスボンに、居たい


 今回の旅は、まず「スペイン北部へ行く」という案が浮かび、ついでにポルトガルにちょっと寄りたいという希望があった。「ちょっと」とはいえ、感覚のうえでは、「ぜひとも」だった。
 14年ぶりにリスボンの街を歩き始めると、思い出がよみがえる。幅90メートルの自由大通り、アベニーダ・ダ・リベルダーデは、道路の中央部が公園になっている大通りだ。「柄にもない」と言われそうだが、リスボンの、この静かな大通りが好きだ。今回もまたポンバル侯爵広場までの長い坂道を歩き、広場を一周し、のんびりと下った。朝の早い時間だったので、道路中央の公園ではまだカフェは店を開けていないから、ちょっと休憩というわけにはいかないが、その辺のベンチに腰掛けて、ただ街と人を眺めていた。そういう時間が好きだ。路上で湯気をたてている焼き栗屋が前回の滞在でもあったかどうか記憶がはっきりしないが、あの時もやはり晩秋のリスボンだった。
 昔は、こういう落ち着いた雰囲気の風景は、大人っぽいがゆえに嫌っていたのだが、年齢だけは充分に「大人っぽく」なって、静けさが肌に合う。アジアの雑踏は、ある程度までは好きだったが、経済発展を続けるなかで、ガラスのビル群がいくつもできて、どうにも動きがとれない渋滞に巻き込まれ、汚染された大気に包まれていると、落ち着きや静けさがほしくなる。1970年代までの、「アジアの、のどかな雑踏」は大好きだったが、過去を消し去り、自動車時代と近代的ビルの時代に入り、成り金の充満するアジアは色気に欠ける。貧しいアジアが好きだったというわけではない。アジアが嫌いになったということではないが、年々、混雑が苦手になってきたということはある。どこも似たような街になっていくのが嫌だということでもある。
 だからといって、ヨーロッパの静かな街ならどこでもいいのかというと、すでに書いたように東欧や北欧は、とりあえず好みではない。静かならば、それでいいというわけではなく、南欧的な明るさが欲しいのだ。
 リスボンで見つけた宿は、ゲストハウスのようだと言えばわかりやすいか。個室だが、トイレとシャワーは共同。台所にはガス台も電子レンジも冷蔵庫もある。やる気なら、調理もできる。電気ポットもあるから、インスタントコーヒーや紅茶は、いつでも飲み放題。パンと果物の朝食がつく。私とは縁がないが、パソコンも自由に使える
この宿が気に入った理由のひとつは、部屋に椅子と机があることだ。これで、台所からコーヒーを持ってきて、部屋で事務作業ができる。窓が道路に面していなくて、中庭(正確には洗濯物の干し場)しか見えないのが難点だが、まあ、これはよしとする。
リビングルームにテレビがあって、朝食後は朝のニュースを見ていた。
 ある日のニュース画面を見て考えた。メモをしなかったので正確なポルトガル語ではないかもしれないが、”Homicida em fuga”という見出しが画面にずっと出ていた。英語homicideからの類推で、殺人と関係があるニュースだろうと想像ができたが、em fugaがわからない。ちょうど宿のスタッフがリビングルームに入ってきたので、「このem fugaって、どういう意味ですか」と聞いた。
 「殺人犯が逃走中で、山奥に逃げ込んだというニュースです」
だから、森の映像が出ていたのか・・・、あっそうか。fugaはフーガか。音楽用語のフーガは「逃げて、追いかけて、また逃げて、追いかけて」というイタリア語だが、ポルトガル語でも同じ綴りで、のちに辞書をひくと、「逃走、脱出」とあった。
ポルトガル語ポルトガルのあらゆることを教えてくれる先生がこの宿にいて、散歩のときの疑問を宿に戻ると解明してくれる。スペインには行かず、このまましばらくリスボンにいてもいい。ポルトガルに着いたばかりだというのに、そう思えてきた。団体旅行ではないので時間は好きに使えるのだから、このままひと月リスボンに居ても誰にも迷惑はかけないし、旅費が尽きるというわけでもない。仕事で来ているわけではないから、旅は自分の好きにしていい。しかし、「旅のしょっぱなで沈没じゃあなあ」という気もして、このあと北上する予定は変更しないと決めた。リスボンという街は、あるいはポルトガルという国は、長く居ても飽きないが、だからといって人を引き付ける強烈な魅力があるわけでもない。ギリシャも同じような個性で、「なんとなくいいね」というグループの国だ。

 
 アベニーダ・ダ・リベルダーデ 自由大通り