889話 イベリア紀行 2016・秋 第14回


 ファドの1日 その1

 リスボンの地図を見ていたら、宿のすぐ近くにアマリア・ロドリゲスが最後まで住んでいた家があることを知り、出かけることにした。朝飯を食べてすぐではまだ早いだろうと思ったが、どうせ道に迷ったり、寄り道したくなるだろうから、早めに出てもいいだろうと宿を出たら、すぐに着いてしまった。大きな看板が出ているわけでもなく、「このあたりかなあ」とあたりを見回したら、それが記念館の入り口だったという偶然だ。門があって、庭があってその向こうに豪邸がそびえて・・・という家ではなく、バス停の前に入り口ドアがある家だ。ポルトガル最高の有名歌手の家というには小さい。わが宿の近くだから、高級住宅地とは思えない。
 開館時刻にはまだちょっと早いので、近所を散歩した。店舗併用住宅や、低層のアパートが並んでいる。地図を見れば、記念館のすぐ南に国会議事堂があるのだが、このあたりの路地を歩いている限り、官庁街という感じはしないし、ましてや国会議事堂のご近所という感じなどまったくしない。
 ファドもアマリア・ロドリゲス(1920〜1999)も知らないという人のために、映像を紹介しておこう。
https://www.youtube.com/watch?v=89JbzIhIwlE
 ファドはポルトガルの民族歌謡だが、歌謡曲にはなれず、伝統芸能になってしまった。それは、こういう意味だ。アメリカのブルースは、初めは楽器など使わず、手拍子やその辺にある物を叩いたりしていたのだろうが、だんだん形を整えてくると、ギターやピアノを使うようになった。南部からシカゴに移住した黒人たちは、1950年代に電気ギターを使ったバンドになり、管楽器を加え、リズムを強調するリズム&ブルースも生まれた。その音楽がイギリスやアメリカの白人たちに影響を与えて、白人のブルースバンドやロックバンドが次々と誕生する。さまざまな要因で、ブルースは姿を変えてきた。
 ファドはそういう変容はしなかった。コブシを利かせたポルトガルの歌ファドは、19世紀に生まれた。2拍子で、ギターラ(12弦のマンドリンのような楽器。日本では、ポルトガルギターともいう)とビオラ(クラッシックギターをそう呼ぶ)の伴奏が基本で、ベースや低音のギターを使うこともある。リズムと伴奏楽器と歌い方がほぼ固定したときに、のちに「ファドの女王」と呼ばれるアマリア・ロドリゲスが登場したことで、その後の歌手が皆、アマリアのように歌うようになり、音楽的に変化のない「伝統芸能」になってしまった。スペインのフラメンコは、ロックバンドがフラメンコの風味を加えたりジャズと結びついたりして、時代と歩調を合わせることで生き生きとした音楽になっているが、ファドは変化することを拒否した結果、伝統音楽になってしまい、もっぱら外国人観光客を喜ばせる存在になっている。
 私はファドをある程度聞いたところで、そのことに気がつき、雰囲気が違うファドを聞きたくて探した結果出会ったのが、ドゥルス・ポンテスだった。ファド歌手ではない彼女がファドを歌うのがおもしろかった。アルファマで会ったベテランファド歌手は、「あんなのはファドじゃない」と軽蔑した表情で言ったのだが、外国人である私には、軽蔑されるほど新しい彼女の歌の方がおもしろかった。
 例えて言えば、美空ひばりの歌をそっくりに歌う天童よしみの歌よりも、吉田美和が歌う美空ひばりの歌の方がおもしろいという感覚だ。
 次の動画は、ブラジルの歌手、カエターノ・ベローゾとのデュエット。
https://www.youtube.com/watch?v=bUHy8PoG1HE