903話 イベリア紀行 2016・秋 第28回


 SDCの恵み


 スペインとて、朝の8時はけっして「早い時刻」ではないのだが、東京の秋の朝4時くらいだ。街灯がないと、暗くて歩けない。ポルトガルはイギリスと同じ西ヨーロッパ標準時間を採用しているが、スペインはフランスなどといっしょの中央ヨーロッパ標準時間を採用しているので、ポルトガルとスペインの間には、時差が1時間ある。
 朝の列車で、ビーゴからサンティアゴ・デ・コンポステーラ(長いので、SDCと略)に行くことにした。駅では、空港のように荷物検査の機械があって、X線検査がある。スペインは、ヨーロッパのなかでは比較的警備がゆるいだろうと思うが、それでも一応荷物検査はある。
 SDCに行こうかどうか迷ったのだが、バスク地方に行く交通の便を考えたら、SDCを経由した方が便利だろうと推測した。
 ビーゴからわずか1時間で、谷底のSDC駅に着いた。そういえば、ビーゴのウルサイス駅も谷底にあった。この街を出るのも鉄道を使おうと思うので、宿はなるべく駅に近いところで探した。「ここは、どうだ」と最初にあたりをつけたホテルの前で立ち止まった。ここは有名な観光地で、日本のビジネスホテルのような外観だから、私の予算を超えていそうな気がするが、一応料金だけ聞いておこうとロビーに足を踏み入れた。
 シングルルーム、45ユーロ(朝食付き)は安い。部屋も見ずに、宿泊を決めた。ペンションでも朝食がつかないで30〜40ユーロが相場だから、観光地にしては破格に安い。SDCの恵みだ。45ユーロ(5300円)というのは、日本の地方都市の安い旅館やビジネスホテルとそう変わらない料金だ。かつては、外国人旅行者たちから、「日本の物価は高い」と言われていたが、いまでは「そうでもない」とか、あるいは「日本は比較的安い」という。そう感じる外国人観光客の感覚が、少しはわかるようになった。イギリスや北欧やスイスの物価を考えれば、今や「日本の物価は安い、とくに食費は安い」のだ。
 旧市街を散歩した。細い道を抜けてさまよい歩いていると、巡礼者の目的地カテドラルに出た。ここに着くまでの路地とカテドラル広場で、合計50人ほどの日本人観光客とすれ違った。いずれも団体旅行者で、そのほとんどは私と同年輩だ。SDCはただの小都市ではないが、バルセロナや、アンダルシアのような有名観光地ではない。マドリッド郊外の観光地でもない。日本の団体がスペイン西北端のSDCまでわざわざ来たということは、「スペイン一周バスの旅15日間」の旅や、キリスト教団体の旅行だろうかなどと、カテドラル前のオブラドイロ広場のベンチに腰掛けて、考えた。日差しは強いが、風は明らかに秋の涼やかさを含んでいる。巡礼をしてきたわけでもないのに、気分がいい。
 広場では、長い巡礼路をはるばる歩いてきた者たちが、円陣に座り、写真を撮り、祝杯をあげ、最終到着地にたどり着いた感動を分かち合っている。途中で出会い、離れ、また路上や宿で出会った者たちが、ここで旅を終える。フランスから歩いてきたとすれば、およそふた月ほどの徒歩旅行だったのだろう。
 歓声が聞こえた。アジアから来た若者が6人、韓国人だろうと想像した。すぐに勘が当たったことがわかった。ひとりがリュックから大きな大極旗を取り出して、オリンピック陸上競技で金メダルを獲得した選手が競技場を回るように、国旗を両手に持って、広場を走り回っている。国旗さえ手にすれば、何をしてもいいと思っている人たちだ。騒がしい。場所をわきまえなさい。
 昼飯をどこで食べようかと考えながら歩いていて出会ったのが、「フリオのカフェ」という店で、なんとなく日本の喫茶店に似ている店だった。道路に面して大きなガラス窓があり、コーヒーを飲みながら、道路を眺められる。生ハムとチーズのサンドイッチとカフェ・アメリカーノアメリカンコーヒー)を注文した。食べ終えて、「いくらですか」と聞いたら、「トレス・ユーロ」といわれ、一瞬、「トレス」がわからなくなった。もちろん、「3」だということはわかっているが、生ハムとチーズのスペイン式サンドイッチBocadillo(ボカディージョ)と、小皿山盛りのオリーブの塩漬けとコーヒーの昼飯を店で食べて、まさか3ユーロということはないだろうという予備知識のせいで、「トレスって聞こえたけれど、まさか3じゃないよなあ」と思ってしまったのだが、聞き返せば、やはり3ユーロだ。日本円にして、約360円。日本のスターバックスカフェ・ラテはもっとも安いサイズで、330円もする。これもSDCの恵みだ(のちに、ビルバオでもマドリッドでもその程度の店があることがわかってくるのだが・・・)。
 午後の散歩でのどが渇いたので、また「フリオのカフェ」に行った。小さな街だから、行きたい場所に簡単に行ける。午後は暑くなったので、コーヒーではなくミックスジュースを注文した。すると、ジュースのほかに、ポテトサラダ(日本のものとまったく同じ味だった。まさかキューピーマヨネーズを使っているわけじゃないだろうに)と、塩漬けのオリーブ20粒ほどもついてきた。酒のつまみが出てきたから、ジュースを注文したのに、カクテルだと誤解したのだろうかと思った。グラスの液体を飲んでみれば、やはりジュースだ。おまけがいろいろつくのは、まるで名古屋の喫茶店のようだ。やはり、SDCの恵みだ。
 夕食にふさわしい店を探してさまよったのだが、フリオのカフェ以上に感じのいい店が見つからず、その日3度目の入店だったが、「食べ物はもう終わり、飲み物だけです」ということで諦めた。
 SDCの散歩はこれくらいで充分だった。明日はこの街を出るが、さて、どこに行こう。

 私の興味は宗教施設ではなく、一般住宅なので、こういう構図の写真になる。宗教美術鑑賞よりも、住宅は天窓をつけるのが流行らしいとか、洗濯物はどこに、どうやって干すのだろうかなどと考えているほうが、ずっと楽しい。