909話 イベリア紀行 2016・秋 第34回


 ビスカヤ


 ビルバオに行こうと思った理由はふたつある。ひとつは、「バスク文化の中心地」を見てみたいというもので、これは見込みがはずれた。素人でもわかる「バスクらしさ」はない。もうひとつはビスカヤ橋だ。この橋をテレビで見て、「あっ、行きたい。現物を目の前で見たい」と思った。
 ビルバオの街中を流れているネルビオン川を下ると、河口付近にこの橋がある。街の中心部から地下鉄で20分くらいの距離だ。ビスカヤ橋は、実に奇妙な橋で、同じような橋は世界にいくらもないらしい。わかりやすく言えば、平行移動する巨大なロープウエイで、自動車でも運べる。川を航行する船のジャマにならないように、橋を架けようとすれば、谷に架ける橋でない限り、中央部を高くしないといけない。太鼓橋のようにしないなら、陸上部分の橋を長くしないといけない。もし建物がすでにあれば、移転する必要がある。そういう欠点を克服するために、人や馬車をゴンドラで運ぶこの橋が生まれた。
 橋の写真を撮ろうとカメラを構えると、シャッターが切れない。電池切れだ。まさか、こんなに早く電池がなくなるとは思っていなかったので、予備の電池も、充電器も宿に置いてきた。この旅の直前に買ったカメラだから、使い勝手がまだわからない。
 というわけで、私の写真はないので、他人のふんどしを貸してもらうことにする。これなら、どういう橋か、簡単にわかるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=m2zk6224h08
https://www.youtube.com/watch?v=Mf7n0Nfsg-4
 橋への往路は、地下鉄1号線のAreeta駅から歩いて行った。橋に“Puente de Vizcaya”と書いてある。バスク語では”Bizkaiko Zubia”という。ゴンドラに乗って対岸に行くと、橋の案内板には“Puente de Colgante”と書いてある。川の両側で橋の名が変わるのだろうか。その辺を帰国後調べてみようと、日記帳に橋の名前をメモしておいた。
 Colganteは地名じゃないはずだと思いつつ調べると、Puente Colganteで吊り橋を意味する普通名詞であり、日本の吊り橋もスペイン語ならこの名前で分類される。しかし、ビスカヤ橋がある地元では、通常この橋を「吊り橋」と読んでいるので、案内板もそう表記していたというわけだ。つまり、普通名詞がここでは固有名詞になっているというわけだ。
 この橋は1893年の完成で、設計したのは、かのエッフェルの弟子のスペイン人建築家Alberto Palacio(1856~1939)。マドリッドのアトーチャ駅舎やレティーロ公園のガラスの宮殿Palacio de Cristalの設計にもかかわっている建築家だ。
 ビルバオへの帰路は、同じルートで戻ってもおもしろくないので、地下鉄2号線を使おうと思ったのだが、駅が探せない。当たり前だが、地下鉄の線路も駅も地下にあるので、地上からは探しにくい。歩道に入口があればわかりやすいのだが、ビルの地下に駅があるタイプだと、よそ者はなかなかたどりつけない。人通りがほとんどない住宅地をさまよい、これくらい歩けば駅の「M」(METRO)のマークが見えてくるはずだと思っても、駅は見えない。誰かに聞こうにも、路上に人がいない。そのとき、アパートから出てきたのが、きちんと制服を着た中学生、たぶん中国系だと思われる男の子だった。
 反射的に、「地下鉄駅はどこですか」と聞いた。それくらいのスペイン語はできるのだが、返ってきた返事が私の予想の5倍以上の量で、ほとんど理解できない。「まっすぐで、右なの?」などと聞き返したが、「いえ・・・」というやりとりが何度かあって、少年は口頭による指導を諦めた。
 いっしょに行きましょう、ついて来てくださいというようなジェスチャーをした。私はすぐその辺に駅があると思っていたのだが、いやいや、くねくねと何度も曲がり、歩き続き続ける。これじゃ、スペイン人だって、説明を聞いただけでは歩けやしない。少年は、行き先が同じだから案内しましょうというのではなく、わざわざ連れて行ってくれたのだろう。四つ角に立ち、「あれです」と坂の上を指差した。Mの地下鉄マークが見えた。少年に例を言って、私は坂を上った。丘の上から河口が見えた。どうやら、私が目指していた駅とは反対側にひと駅分歩いたらしい。