912話 イベリア紀行 2016・秋 第37回

 ゲルニカへの小旅行

 そのゲルニカ・ルモに行った。
 ビルバオの観光案内所で教えてもらったとおり、案内所近くのバス停からゲルニカに向かった。海がある北方向に走っているのに、街を出るとすぐさま荒野だった。レオンからビルバオに来た時と同じように、刈り入れの終わった畑と、岩がゴツゴツした荒野が広がっていた。
 50分ほどで、バスはゲルニカ駅の脇に着いた。すぐ近くにゲルニカ平和博物館がある。ゲルニカ空爆、焼土作戦の事実がわかるのかと思ったが、そういう博物館ではなく、「誰を責めるのでもなく、ただ平和を祈念いたしましょう」という施設なので、展示に工夫はなく、観念的で、まったくおもしろくなかった。
 平和博物館脇の階段をあがっていくと、古い建物があった、空襲で破壊されなかった建物だそうだ。
 Euskal Harrria Museoaとバスク語で書いてある。『地球の歩き方』は「バスク美術館」としているが、美術館ではないから、取材者がここに来ていないことがわかる。Museum(英語)もMuseo(スペイン語)も、博物館と美術館の両方の意味があるが、日本語では別の語だ。
 このバスク語の意味を知りたくて、ちょっと調べてみた。直訳すれば「バスク地方博物館」であり、意訳すれば、「バスク歴史生活博物館」だろう。ここはおもしろかった。ビルバオバスク博物館と共通するのだが、この地方の衣食住に関する展示があって、興味深かった。
 博物館のすぐ隣りが、ビスカヤ県議事堂だ。ビスカヤ県の県都ビルバオだから、県庁はビルバオにあるのだが、議事堂だけはここゲルニカにある。内部を見学できるようになっているので、見せてもらったら、「議事は、ここでやりたいだろうなあ」と思わせる美しい施設だった。

f:id:maekawa_kenichi:20191101021128j:plain
f:id:maekawa_kenichi:20191101021047j:plain
 天井がステンドグラスの議会控室と、議会

 街を2時間ほど散歩して、昼食。バル(Bar)でGilda(ヒルダ。酢漬けの青唐辛子と塩漬けオリーブとアンチョビを串にさしたもの)を2本と、Tortilla de Patatas(トルティージャ・デ・パタータス。ジャガイモのオムレツ)。24センチのフライパンで、厚さ3センチに焼いたオムレツを6等分にしたひと切れに、パンがつく。これにアメリカンコーヒーがあれば、私の昼飯には充分だ。4.50ユーロ。私の経験では、トルティージャは通常、固く焼いたオムレツなのだが、この店のものは中がソフトで、まだほんのりと温かい。だから、パサパサになっていない。味は、たぶん、塩だけ。コショーの香りはしないから、使っていても、少量だろう。
 またバスでビルバオに戻るのはつまらないので、鉄道を使うことにした。国鉄ではなく、バスク自治州経営のバスク鉄道だ。まったく期待をしていなかったのだが、これがおもしろかった。バスのように荒野と畑のなかを走るのではなく、林の中を走る。小川が線路に近づき、離れて林の向こうに消え、家が見えて、家庭菜園があり、庭が覗け、倉庫があり、生活が見える。地域の交通が、鉄道で結ばれてきたことがわかる。道路を使うバスは、その後の自動車の時代に誕生したという歴史がわかれば、車窓からの景観の違いの説明がつく。
 やがて、郊外住宅が見えてきて、ビルバオ旧市街にあるアチューリ駅に到着した。この駅もまた、風情があっていい。すぐ近くに市場もあるので、駅周辺をしばらく散歩した。
 それにしても不思議なのは、タイヤ屋のミシュラン地図に鉄道路線がないのはわからないでもないが、パソコンのグーグルマップにも、なぜか鉄道路線の記入がない。
 ゲルニカへの旅の後も、しばらくビルバオ散歩の時を過ごし、路面電車や船に乗って遊び、そしていよいよ首都マドリッドに向かうことにした。

f:id:maekawa_kenichi:20191101021314j:plain
 街中が動物園というのがヨーロッパの都市だが、その正体と意味を解明するには図像学の基礎が必要だ。