920話 イベリア紀行 2016・秋 第45回

 川を見に行く その1


 マドリッドは殺風景である。あまり古い歴史のない都市だ。リスボンのように、街なかに小高い丘でもあれば視界に変化があるのだが、街なかに見上げる丘がない。パリのセーヌ、ブダペストのドナウのように、街が川で分断されて、いくつかの橋で両岸が結ばれているという風景が、マドリッドにはない。川と橋と夕日は、写真家がもっとも好む街の構図だ。アムステルダムのような運河網など、もちろんない。内陸の街だから、バルセロナと違って海もない。風景の変化がないのだ。ロンドンのビッグベン、パリのエッフェル塔凱旋門バルセロナのサクラダファミリアのように、この建造物を見ればどこかわかるという物も、マドリッドにはない。しいて言えば、スペイン広場のドン・キホーテとサンチョパンサの像だろうが、世界的に有名とは言い難い。
 マドリッド歴史博物館には、1830年代のマドリッドを再現した巨大なジオラマがあり、カメラが移動して超低空の画像を見せてくれる。通りの名前や解説もあるから、ソフィア王妃芸術センターの地には、かつて病院が建っていたということもわかった。連日散歩を楽しんでいるおかげで、頭に現在のマドリッドが浮かぶので、この展示は実に興味深い。
18世紀のものだったと思うが、マドリッドに到着した旅行者が、男は川で水浴びをし、女は洗濯をしているという光景を描いた大きな絵が展示してあった。「マドリッドに、川?」。知らなかった。古地図を見ると、川が流れ、橋がかかっている。Puente de Segoviaセゴビア橋と書いてある。マドリッドの川と橋。そんなものはどこにあるんだと、現在の地図を調べれば、地図のはしっこ、王宮の向こうに川と橋があるではないか。
 よし、川を見に行こう。
 愛用のミシュランマドリッド区分地図」を見ると。サン・フランススコ・エル・グランデ教会から北上すると、王宮の手前、アルムデーナ大聖堂のすぐわきに大きな橋がある。この橋は知っている。川にかかる橋ではなく、谷にかかる大きな陸橋だ。谷底は道路だ。残念ながら鉄の橋ではなく、コンクリート製だが、アーチ型なので優美さはわずかにある。
 この陸橋の名は、Viaducto de Segoviaセゴビア高架橋という。1874年に鉄製の橋ができた。昔の写真を見ると、ただの鉄橋でおもしろくない。スペイン市民戦争で破壊され、1942年に現在のようなコンクリート製の橋になり、1970年代に改修した。この橋付近を散歩していたときに、高架橋から見晴らしがいいだろうと期待して行ってみたが、防護壁のようなものがあって、川側がまったく見えない。もしかして自殺防止のためかと思ったら、やはりそうだった、1980年代まで、ここは自殺の名所だった。
https://madridsegway.wordpress.com/2014/01/07/ayer-hoy-madrid-el-viaducto-de-la-calle-segovia/
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 セゴビア高架橋。橋を左に進むと、王宮。

 この橋の下、急坂をくだってたどりつく道路が、セゴビア通りだ。北側は公園になっている。マドリッドを散歩していると、広い地域にわたって下り坂になる道路がある。その理由がセゴビア通りを歩いていてわかった。マドリッド河岸段丘の平坦な地域にできた街で、崖の部分(段丘崖 だんきゅうがい)ぎりぎりに建設したのが王宮だということがわかる。王宮の西に川があり、北と南には深い亀裂がある。出入りができるのは、現在入り口になっている東側しかない。下り坂は、川に向かって進んでいるということだ。
ゆるやかな下り坂になっているセゴビア通りを歩いて行くと、川が見える。マドリッドという地名が、アラビア語の「水のある所」が語源だが、その水とは王宮のすぐ下を流れるこの川の水だ。
 川に着いた。なんともなさけない川だ。セーヌやドナウほどの堂々たる川を期待していたわけではないが、この川は歩いて渡れる深さしかない。ということは、公園の手こぎボートでさえ、浅すぎて使えない水深だ。水量は季節的な変化はあるだろう。インターネットで画像検索をすれば、私が見たときよりも、もう少し水量が多いときがあるかもしれないが、水運とは縁がなさそうだ。人や荷物を運ぶ大型船が常時運航するのは無理だろう。スペイン交通史をきちんと調べないとわからないことなのだが、ヨーロッパやアジアのいくつもの都市のように、川が人と物を運んできた歴史は、マドリッドではなさそうだ。
 
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川から王宮を見る。