926話 イベリア紀行 2016・秋 第51回

 スペイン映画を見る その2

 この映画には、押さえておかなければいけないポイントが、少なくとも次のふたつある。
 まず、アマリア・ロドリゲス。
 ベラルデ刑事の部屋には高そうなオーディオ機器が備えてあって、スピーカーと対峙するかのように座り、大音響で歌を聞く。それが彼の趣味らしい。部屋に流れている歌が、アマリア・ロドリゲスだということは、聴けばすぐにわかる。この映画は、アマリアの歌声が何度か出てくる。部屋に流れていた歌には聞きおぼえがあるのだが、映画のラストシーン、雨降る草原で、ベラルデが強姦犯を殺してしまったところに流れるアマリアの歌に記憶がない。膨大な数の歌を残しているアマリアだから、私の記憶に残らない歌があってもおかしくはないのだが、あの歌のタイトルを知りたい。わかれば、手持ちのCDに入っているかどうかも調べられる。
 インターネットを駆使して、この映画の監督、ロドリーゴ・ソロゴイェンRodrigo Sorogoyenのインタビュー記事を見つけた。そのなかで、ラストシーンの歌の名を明かしている。アマリアの”Que Dues Me Perdue”だ。アマリアのCDはベスト盤を中心に10枚くらい持っていて、その曲を探したら、名盤には入っていなくて、粗悪品のCDに入っていたが、音がひどく悪い。
 まさかと思いつつ、ユーチューブにあたったら、アマリアが歌う動画が見つかった。
1990年の歌手生活50周年記念コンサートビデオの日本版だから、ありがたいことに歌詞の翻訳がでている。そのコンサートの最初に歌ったのが、この歌だ。
 そういうものがあるとは知らず、ポルトガル語歌詞とその英訳詩を参考にして、辞書を引きながら苦労して訳していたのに、なんてこった。ポルトガル語詩の自動翻訳は意味不明だから、辞書に頼った1時間の苦労は無駄だったのだが、大意はつかんでいたとわかり、まずは安心だ。
 この歌は、ファドを歌う決意を歌ったものだ。冒頭から9分くらいのこところから、この歌が始まる。
https://www.youtube.com/watch?v=KhZ37EuVLP0
 歌詞に「神よ お許しください。これが罪ならば・・・」というところの、”crime ou pecado”は、「犯罪であれ原罪であれ」だから、やはり神に関係してくる。
 このファドの題名を見て、「もしや」と思った通り、ポルトガルの歌とスペインの映画は同じような意味だ。それもそのはず、監督はアマリアの歌をヒントに映画のタイトルをつけたそうだ。
 次の問題は、ローマ教皇(法王) ベネディクト16世のスペイン訪問だ。
 映画の冒頭、プエルタ・デル・ソルの風景とローマ教皇ベネディクト16世マドリッド訪問の映像がでてくる。ドキュメント映像だから、これから始まる映画は、「教皇暗殺者とそれを追う警察物語」なのかと想像しながら見ていたのだが、全然違った。予想とは違ったから、ローマ教皇のシーンがなぜ出てくるのかわからなかった。手持ちカメラで路地裏を行くというようなドキュメント風映像もあり、その両方を考えていてわかった。2011年が重要なのだ。スペインの勉強をして、少しは勘が働くようになった。
 1999年にユーロを導入したスペインは、不動産投資を始め、外国から一気に資金が流入してバブル経済になった。しかし、2007年のサブプライム・ローン破綻をきっかけに始まった世界金融危機により、スペインのバブル経済は崩壊した。
 2008年ころから、PIGS(ピッグス)という経済用語が日本のマスコミでも取り上げられるようになった。自力では経済再建ができないとされたヨーロッパの国、Portugal、Italy、Greece、Spainの頭文字をとった語で、イタリアはすぐにIrelandに代わった。そういう時代だったと思いだした。
 2011年初めの失業率は26パーセント、失業者数は460万人になった(2012年には、若者の失業率は50パーセントを超えた)。そういう時期の2011年8月に、ローマ教皇がスペインを訪問することになった。カトリック国スペインだから、通常なら大歓迎なのだが、国家経済が危機的状況になっているときに、多額の費用をかけて歓迎式典などする必要はないという「教皇訪問反対」の激しい運動起きていた。そういう社会背景も描くことで、この作品に厚みを与えている。
 例えば、こういうシーン。
https://www.youtube.com/watch?v=kce6Bgto3kM
 そういう激しい時代、社会不安の時代に、マドリッドで老女連続強姦殺人事件が起こったという「暗さ」に、ファドの暗さが加わる。殺人犯も教会に関係があるのだが、詳しいことは私の英語理解力では字幕が早すぎて、読みとれなかった。
 言葉の点で私にはわからないことは数多くあるが、これもそのひとつ。アマリアの歌は”me”(「我を許し給え」)なのに、スペイン映画では”nos”(「我らを許し給え」)と複数形になっている理由がわからない。殺人犯を殺した刑事以外に「許し給え」と願うのが誰なのかわからない。
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