927話 イベリア紀行 2016・秋 第52回

 スペイン映画を見る その3


 次の週に公開された映画が、”100Metros”だった。その意味が「100メートル」だということはすぐにわかる。ポスターはトライアスロンらしい光景がうかがえる。英語字幕なしの上映だが、たぶん、ややこしい内容ではないだろう。
 昔のオリンピックの白黒写真がでてくるところから映画が始まる。スポーツ選手の名前が次々に読み上げられるなか、「ナディア・コマネチ」の名前も出てきた。金メダリストではあるが、スペインでもよく知られた選手だということがわかった。
「これは実話です」という字幕があった。
 妻と幼い娘と暮らすラモーン・アローヨは、ちょっと前から指がうまく動かないことが気になっていた。そんなある日の朝、椅子から立ち上がれなくなった。会社に行くことはもちろんできない。妻はすぐに病院に連れていく。検査を繰り返す。私は脳腫瘍かALS(筋委縮性側索硬化症)のような病気かもしれないと思いつつ、スクリーンを見つめた。「余命わずかの難病物映画」なのかと想像した。手術する様子はないので、「すでに手遅れ」か「治療方法のない難病」ということか。
 驚いたのはこの先で、治療は点滴と運動機能回復のリハビリだ。医学に無知な私は、病気の詮索を放棄して、映画に集中した。調査は、帰国後にする。
 ラモーンは自宅療養になった。妻は働きに出たので、昼間はひょんなことから同居することになった妻の父とふたりで過ごすことになった。ある日の午後、テレビを見ていたら、昔の陸上競技の映像が流れていた。100メートル競走の映像を見て、「せめて100メートルを歩けるようになりたい」と思うようになり、義父の手助けを得て、路上に出る。義父の厳しいコーチ指導で、それまでほとんど歩けなかった男が、100メートルを歩けるようになり、少しは走れるようになった。ジムでトレーニング中に、トライアスロンのポスターを見て、「いつかは、おれも出る」と決心して、訓練に励み、数年後、ついに出場し、完走した。ゴールのシーンは、実際の記録映像も流した。
 ここで予告編を出しておこう。わかりやすい予告編だ。
https://www.youtube.com/watch?v=oNZqDFeP5wo
 まず、この病気の正体を明らかにしたい。ラモーンの検査と同じシーンが、帰国直後に見たテレビドラマにあった。患者が横向きに寝て、脊椎部分に細い管を刺す検査を、吉田洋主演の「レディ・ダビンチの診断」と、米倉涼子主演の「ドクターX」の両方に出てきた。ドラマのおかげで、これは、髄液検査だとわかった。くも膜下出血髄膜炎、脳腫瘍などの検査だったようだ。インターネットのスペイン語情報を探して、ラモーンの病気は多発性硬化症だということはわかったが、なじみのない病気なので、ここで解説はしない。詳しく知りたい人は、以下のようなサイトで学んでほしい。こういう病気だと、日本語字幕がでても、どういう病気なのかまるでわからない。落語家林家こん平の病名として、一部では知られているらしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%99%BA%E6%80%A7%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87
 ラモーンを演じるダニ・ロビラは、大学で体育やスポーツ科学を専攻したコメディアン・俳優だそうで、スペイン映画の賞であるゴヤ賞の司会を務めている。そういう背景を知っている人には、配役の妙を感じるだろう。
 この映画を「お涙頂戴・難病映画」にしなかった功績は、妻の父(カラ・エルハルデ)にある。いい面構えだ。この男、元ヒッピー風で、森の中のおんぼろ小屋に住み、庭で野菜とマリファナを育てている。この小屋が崩れそうで、心配した娘が街でいっしょに住もうと提案する。父は義理の息子のリハビリのために小屋に戻り、山で肉体労働をさせるなど、厳しい指導をした。小屋の荷物整理をしているときに、この義父がかつてはサイクルロードレースの名選手だったことを知るのも、ひとつの味付けになっている。
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