928話 イベリア紀行 2016・秋 第53回

 スペイン映画を見に行く その4


 映画のストーリーとは直接は関係ないことだが、気がついたことを書いておきたい。
 まず、「神よ、許し給え」の話だ。この映画には、スペイン語とアマリアのポルトガル語以外に、外国語がちょっと出てくる。フィリピンの言葉だ。老人の集まりに行って聞き込みをする刑事の脇で、介護をするフィリピン人たちが控えている。私がスペインで最初に会ったフィリピン人は、サラマンカで出会った修道女で、「ああ、カソリックの付き合いか」と思ったのだが、今回はいたる所で、車椅子を押すフィリピン人に出会った。台湾でも同じ光景を見ている。台湾人も香港人もスペイン人も、老人はフィリピン人たちに支えられている。
 ふたりの刑事が移動に使っているのが、マツダのセダン。タイアップがあるような画像があるわけでもないが、あれは現実のマドリッド警察の公用車と同型なのだろうか。
 アルファロ刑事の、高校生くらいの娘が父のために作った夕食は、山盛りのスパゲティー・トマトソース。この無骨な男が、娘が作った具などほとんどない山盛りのスパゲティーを食べるシーンも、「リアルだなあ」と思った。
 日本の刑事ものと違い、住生活がなかなかいい。アルファロはプール付きのアパートに住んでいる。何かで副収入を得ているといった会話があったかどうかは知らない。
 2017年2月4日発表のゴヤ賞(スペインのアカデミー賞)に、「神よ・・・」はいくつもの部門でノミネートされている。作品賞、監督賞のほか、主演男優賞はロベルト・アラモ。アントニオ・デ・ラ・トーレは別の映画で主演男優賞にノミネート。助演男優賞には殺人犯役のハビエル・ペレイラが、オリジナル脚本賞は監督とイザベル・レーニャが、そして編集賞もこの作品がノミネートされている。
 *註 2017年のゴヤ賞の最優秀主演男優賞は、この作品でロベルト・アラモが受賞した。こういう、男臭い面構えの役者が日本にはいない。前回書いた「100メートル」のカラ・エルハルデが、助演男優賞にノミネートされていたことを触れるのを忘れていた。
http://umikarahajimaru.at.webry.info/201702/article_12.html
 次は、「100メートル」の話。映画の舞台が、偶然わかった。夜の遠景になると、街に砲弾型のビルが見えた。ウィキペディア日本語版がいまだに「バルセロナ水道局のビルだ」という誤報を流し続けているトーレ・アグバールだ。ラモーンの友人に電話するシーンでは、その友人のアパートの外に見えるのが、ガウディーの「カサ・ミラ」のように見えた。1秒ほどのシーンなので、あまり自信はない。こういうシーンは、それとなく舞台はバルセロナだと知らせる信号なのだろう。
http://jp.freeimages.com/premium/barcelona-sagrada-familia-torre-agbar-aerial-cityscape-mediterra-1060796
https://allabout.co.jp/gm/gc/51510/
 ひとり暮らしをしていた妻の父と同居することになったその夜の食事は、買ってきたすしだった。この家族がとくに東洋趣味だという説明もないから、ちょっと特別なごちそうという扱いだろう。このすしをどこで買ってきたかにもよるが、1人前10ユーロくらいだろうか。つまり、日本の持ち帰りすしとあまりかわらない。ラモーンが、箸でつまんだすしを落としてしまうことで、指の神経がおかしいとはっきりと気がつくシーンには、箸がふさわしいというところまで監督は考えたかどうか、さて?
義父が、すでに亡くなった妻との青春時代の話をするシーンで流れていたのがロックではなく、ボビー・ソロのような甘い歌で、スペインにもそういう時代があったのだなあと思いつつ、この義父は元ヒッピーではないなとわかったのである。
 参考までに、アマリアが歌う「神よ 許し給え」について少々調べてみた。参考文献は、『アマリア・ロドリゲス 語る「このおかしな人生」』(V.P.サントス、近藤紀子訳、彩流社、2003)と、『歌いながら人生を アマリア・ロドリゲス詩集』(アマリア。ロドリゲス、カウド・ヴェルデ訳、彩流社、2006)の2冊。
 この歌の歴史は古い。アマリアが主役を演じたオペレッタ「モーラリア Mouraria」(1946)で使われた歌で、作詞はこのオペレッタの作者でもあるシルバ・タバレス。このオペレッタの初演は1926年だが、「神よ 許し給え」は1946年の再演で追加されたらしい。このオペレッタの衣装である黒いドレスに黒いショールが、のちのアマリアのトレードマークになった。レコードへの吹き込みは1951年か52年の78回転SP版。私が持っているCDに入っている「神よ 許し給え」の音がひどいのは、このSPが音源だからかもしれない。『詩集』を読むと、アマリア自身が書いた「私の罪をお許しください」の方が映画にあった内容だとわかるが、この詩集は詩の原題が載っていないので調べたい者には、不便不親切である。