943話 イベリア紀行 2016・秋 第68回

 雨のマドリッド

 夜中はけっこうな雨が降っていたようで、雨音で何度か目が覚めた。8時ちょっと前にベッドから起きだして、歯を磨きながら窓の外を見ると、霧雨くらいだから、傘なしで歩けるだろう。どうせ、昼前には雨はやむ。ここ何日かは、そういう天気だ。きょうの朝飯はいつものパン屋ではなく、王立劇場の建物に入っているコスタ・コーヒーに行くことにした。店の前に“Desayuno”(デサジューノ 朝飯)という看板があったので、一度は試してみようと思ったのだ。
 ここの朝食セットは、パン・コン・トマテ。バゲットのようなパンの半分を開き、ホットサンドの機械で挟み、上下からちょっと加熱する。皿には、トマトのみじん切りとオリーブオイルがつくスペインの典型的な朝定食だ。これに、いつものアメリカン・コーヒーを注文する。通常料金では、コーヒーは2.30ユーロ、パンは1.60ユーロで、合計3.90だが、朝食セット料金で、2.49ユーロになる。丼のようなカップのコーヒーとパンで、約300円だ。

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 パンに、ペースト状のフレッシュ・トマトと、オリーブオイルと塩。

 ここで朝飯にしようと思った理由は、市内地図を見ていたら、ここから北に2キロほどのところに、Museo de America”というものがあると知ったからで、そこへの散歩の途中に朝飯にしようと思った。この博物館については、何も知らない。南北アメリカ大陸の博物館だろうという想像しかできない。
 王立劇場のなかのコスタ・コーヒーで朝食を食べ、スペイン広場に出て、プリンセッサ通りを歩き始めた。すぐに止むと思っていた雨は、止む気配がない。本当は、こういう大通りは歩きたくないのだが、小雨が降っているから、最短距離で博物館に行こうと思った。路地遊びを始めたら、どこで大雨に出くわすかわからない。大通りなら、商店やバルもあり、すぐに雨宿りができる。
 地下鉄モンクロア駅を過ぎることに、雨は本降りになってしまった。いままで通り雨はすぐ止むと予想していたので、バッグに折りたたみ傘を入れておかなかった。こういう日に限って、昼になってもまだ雨が降っている。モンクロアの駅舎でちょっと雨宿りをしてみたが、雨はいっこうに止む気配はないので、速足で博物館を目指した。「日本人と違い、西洋人は雨でも傘をささない」というのが、NHKBSの「cool japan」の特集テーマだったことがあるが、今通りを歩いている人のほとんどは傘をさしている。濡れながら歩いているのは、50人にひとりか100人にひとりか。私のように傘を持っていないが先を急ぐ人か、傘をささないことを金科玉条のごとく人生の指針としているような人のどちらかだろう。
 アメリカ博物館は、スペインの戦利品・収奪品・強奪品展示館である。しかし、最上階にはアメリカ原住民生活展示になっていて、住宅や医療、生活雑貨などの展示があったので、その部分は興味深かった。植民地でやったことはちょっと忘れて展示品をみれば、それはそれとしておもしろいものもある。例えば、べっ甲細工の調度品があり、本当にべっ甲なのか気になって職員に確かめたら、そのとおりだとわかった。螺鈿にべっ甲の細工だが、アジアからの輸入品ではなさそうだ。
 博物館を出たら、雨はよりいっそう激しくなっていて、もはや散歩は無理だ。小走りでモンクロア駅に行き、地下鉄で宿に戻った。傘を手にして、再び街に出た。
いつもなら、大道芸人やぬいぐるみなどが稼いでいるソル広場(プエルト・デル・ソル)には誰もいない。インド小魔術団も、本日は雨天休業だ。ビニールシートにバッグや靴やDVDなどを並べて売っているアフリカ人もいない。デパートの軒には、あたかも制服のごとき衣装で身を包んだ女たちが、「私たち、ジプシー。おカネ,ちょうだい!」と言わんばかりに、紙コップを差し出している。今までは見かけなかったが、いつもはどこで営業しているのだろう。女たちのすぐ脇には、男たちが所在無げにしている。ヒモなのだろうか。
 雨が降れば元気に営業を始めるのが、雨傘屋だ。”Paraguas !” という叫び声が街に響く。
 Paraguasが、parar(止める)+agua(水)だから「雨傘」なのだということは、すでにバルセロナで学んだ。雨傘屋は、元締めから1本か2本の傘を買い、道行く人に売り歩く。売れたら、また仕入れて稼ぐのだろう。雨が降って喜んでいるのは彼らだけだ。その多くはアフリカ人だから、もしかすると雨で商売ができなくなった違法露天商たちの副業だろうか。
 街には、雨の日の顔がある。