945話 イベリア紀行 2016・秋 第70回

 グラン・ビア

 観光案内所でもらった”esMADRIDmagazine”を持って、グラン・ビアに行った。この小冊子は、意訳すれば「今月のマドリッド」というべきガイドで、コンサートや絵画展など催し物の案内が詳しく出ている。スペイン語に英語の翻訳がついているのがありがたい。
 紹介記事を見て、グラン・ビアのTelefonicaに行った。スペインをはじめ、スペイン語圏最大の通信会社だ。そこの本社ビルで開催されている「録音展」を見に行く。録音機材の歴史展だ。
 ヨーロッパでの展示会なので、フィリップスが中心で、ソニーウォークマン以外ほとんど登場しない。会場でしばし足が止まったのは、壁に作った棚に収められた数十のカセットテープだ。持ち主が中学生か高校生ころに手掛けた手製テープだ。カセットケースの内側に入れるカバーに、人それぞれの工夫がある。私はカセットテープ時代を体験している世代なので、雑誌の写真を切り抜いたり、さまざまな文具を使ってレタリングしたカバーが、「我々の時代の産物」として読める。世界各地の、美術などにまったく興味のない少年少女たちが、コラージュやレタリングに目覚めたのは、カセットテープを愛用していたからだ。授業としての美術ではなく、趣味の美術活動のきっかけは、カセットテープだったはずだ。
 その隣りの会場で、「ヒッチコックの生涯と作品展」もやっていて、こちらも無料なので、ちょっと覗く。小さな会場なので、ささやかな展示会だ。ヒッチコックのファンというわけではないが、彼の作品は何本か見ているので、展示の意味もわかる。私は「北北西に進路を取れ」(1959年)がもっとも好きな作品だが、ここでの展示は「サイコ」、「知りすぎている男」そして、「鳥」が中心だった。
 ちなみに、このビル、正式にはEspacio Fundacion Telefoniaといい、旧時代の高層ビルで高さ80メートル、1929年の完成。鉄とガラスの超高層ビルが林立する前の、20世紀の建築物としては、完成当時、このあたりでもっとも高いビルだったらしい。
会場を出て、グラン・ビアの歩道に立つ。さて、これからどこに行こうか。
 グラン・ビアGran Viaは、「大通り」を意味する語だから、スペインのほかの街にもおなじ名の道路がある。バルセロナなら、カルロス3世大通り(Gran Via de Carlos Ⅲ)、グラナダならコロン大通り(Gran Via de Colon)といった具合だが、マドリッドの場合は、大通りの最高峰だから、修飾語がつかず、ただのGran Viaだ。マドリッド最大の繁華街がある大通りだといっていい。この通りの雰囲気は、新宿紀伊国屋書店前の新宿通りだろうか。
 かつては、今よりも輝いていたらしい。『街を読む マドリード』(浅田恒穂、ワールド・フォト・プレス、1983年)によれば、スペイン市民戦争のころ、1930年代の時代だが、フランコ率いる反乱軍と戦うために、共和国軍と共に闘うために義勇軍兵士としてやってきたアーネスト・ヘミングウェイロバート・キャパサン・テグジュペリらが定宿としていたひとつが、Hotel Gran Viaだった。現在のHotel tryp Gran Via(オテル・トリップ・グラン・ビア)だ。
 グラン・ビアは、シべーレス宮殿の近く、スペイン銀行のあたりでアルカラ通りから分かれて始まり、1500メートルほど続き、ドン・キホーテ像があるスペイン広場で、プリンセッサ通りと名を変える。
 グラン・ビアを歩くとすぐに気がつくのは、次の写真のような装飾過多の古臭いビルが多いことだ。自分で写真を撮らなかったのは、こういう建物が好きではないからだ。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gran_V%C3%ADa_(Madrid)_42.jpg
 プラザ・デル・カジャオにあったフロリダというホテルにも、義勇軍参加者が泊まっていた。ホテルの後にガレリアス・プレシアードスというデパートになったが、競争相手のエル・コルテ・イングレスが買収した。
 エル・コルテ・イングレスを左手に見て坂を下り始めると、2016年秋には左手に「ライオン・キング」の大きな看板が見えてくる。右手には、ミュージカル「Don Juan」の看板。スペイン語では「ドン・フアン」だが、日本の舞台ではフランス語発音の「ドン・ジュアン」で公演している。ほかにも劇場がいくつかある。
 大通りグラン・ビアから路地に1歩入れば、闇も見える。取り壊しを待つようなビルの陰で、まだ明るい時分から大相撲女装大会かと思われるような方々が、男たちからの呼び出しの声がかかるのを待っている。治安はどの程度なのかわからないが、日が落ちたら歩きたくない路地もある。それもまた、グラン・ビアだ。

*この連載が残り20回を切ったところですが、当方、また旅の風にほほを撫でられてしまい、ふらふらと出かけることになりました。したがって、このイベリア半島の旅物語の更新はふたたび小休止となります。その間に何か読みたい方は、この雑語林のバックナンバーを読んでみてください。読みでがありますよ。旅から戻ったら、再開します。そのあと、また次の旅の話が始まります。10日か2週間程度のごく短い旅行です。
 しばし、さらば。