966話 大阪散歩 2017年春 第5回

 自由な人たち


 釜ヶ崎で、朝飯前の散歩をしてみた。おもしろそうな喫茶店があれば、そこのモーニングサービスを食べるのはどうだという思いつきで宿を出た。新世界のジャンジャン横丁とはJR環状線を隔てて反対側、アーケード商店街である動物園前一番街に入ってみると、半分以上はシャッターが下りている。朝だから、まだ営業前なのかと思ったが、別の日の午後にも歩いてみたが、同じようにシャッター商店街だった。線路と道路を隔てて、観光客で込み合う新世界とシャッター商店街が隣り合っている。動物園前一番街から飛田本通り商店街に抜けて、萩ノ茶屋、そして北の新今宮駅方向へと右往左往しながら歩いた。
 朝の8時過ぎだが、歩道で宴会が始まっている。すでに酔いつぶれて横になっている男もふたりいる。自動販売機でカップ酒を買っている男がいる。シャッターにもたれて、カップ酒を両手で包んでじっとしている男がふたりいた。肩を寄せ合っているが、会話をしているようではない。漫才の「次長課長」の井上聡は、一時期、新世界界隈で生活をしていたことがあり、この地域を徘徊する人たちを「自由な人たち」と呼んだ。
 横断歩道の赤信号で立ち止まった。自転車が脇で止まった。男がなにやらつぶやいている。内容は聞き取れない。演説しているような口調で、5秒しゃべり、10秒沈黙するというような間欠泉のような演説を繰り返す。鼻歌でも独り言でもない。演説口調なのだが、内容が不明だ。
 シャッター商店街の脇道に入ると、ビニール傘を小銃のように構えた男が、「お願いだから、オレの後をつけてこないで! お願いだよ!!」と叫んでいる。私に対して叫んでいるのかと思ったが、私が道の脇に寄っても、道路の中央にいるらしい幻覚の誰かに向かって叫んでいる。
 その路地を抜けて、やや広い道に出ると、向こうから来るおばあちゃんが、自分の方に歩いてくるすべての人の前に立ちはだかり、なにやら叫んでいる。悲痛な声がする。少し近づくと、何を言っているのかがわかった。
 「ネコにエサ、あげんといて〜な、あげんといて〜な!」
 懇願するような口調で、声をあげる。
コンビニに入ると、ATMの前に仁王立ちしている男がいる。液晶画面をじっと見つめ、「お前、殺してやる! 絶対に殺してやる!」と大声で機械を威嚇し、すぐさま店内をひと回りしてまたATMにガンを飛ばし、「お前殺してやる!」と叫んでいる。店員は、「ああ、いつものことだね」というのか、平然とレジ作業を続けている。
 これが釜ヶ崎散歩1時間の体験だ。別の日に、やはり1時間ほど散歩したが、そういう自由な人にはひとりしか会わなかったから、誰でもいつでも、1時間散歩すればこういう体験をするというわけでもないだろうが、やはり、ちょっとすごい。
 アルコールが原因か、薬物か、それとも病気によるものなのかわからないが、肉体と精神が別の世界で暮らしている人がいくらでもいる。そういう人が他の地域よりは自由に暮らせる場所が、この釜ヶ崎なのだろう。