968話 大阪散歩 2017年春 第7回

 難波 大阪の病院へ その2


 病院へは、当然ながら、母とともに行ったこともあるはずなのだが、母の姿と大阪の病院が、同じ記憶の枠にない。だから、もしかすると、病院見舞いとは関係のない大阪なのかもしれないし、母とふたりではなく、姉もいっしょにいたのかもしれない。そういう付随した部分の記憶はないが、母と豚まんを食べた記憶はある。関東でいう、肉まんのことだ。
 1980年代なかばだったと思う。関西取材のあと、民博(国立民族学博物館)に行ったりして、大阪で数日遊んでいた。特に用があったわけではないが、難波の高島屋前に立った時、幼稚園児の頃に母に連れられて、豚まんを食べに行ったことを突然思い出した。記憶の残像を探ると、高島屋前のアーケードが記憶に合致した。洞窟のようなぽっかり口を開けたアーケード入り口に入り込むと、記憶に残る店がそのままに残っていた。しかも、その店が関西では知らぬ人がいない「蓬莱」、それも「551蓬莱」の戎橋筋商店街にある本店だったのでまた驚いた。大阪や京都のデパートや駅で、「551」を買って帰ったことがある。私の大好きな豚まんだ。その店と、幼稚園園児だった私が食べた店が同じ店だったというのも驚きだった。それにしても、田舎道ならまだしも、1950年代の幼稚園児が難波の雑踏を抜けていく道を、1980年代になっても覚えていたというのが、自分でも驚きだった。そして、それからまた30年ほどたった今年、なんの迷いもなく「551蓬莱」にたどり着けた記憶力も、我ながらちょっと恐ろしい。551には、それほどの魔力があるのだ。
 考えてみれば、田舎に住んでいる母がなぜこの店の名と場所を知っていたのかわからない。母が生きているうちにその話をしなかったので、謎は迷宮に入った。
 関西豚まん事情初心者は、「551」というのが何のことかわからないだろう。簡単に解説しておく。蓬莱食堂が分裂して、「551蓬莱」と「蓬莱本館」に分かれているため、「蓬莱」だけではどちらかわからないから、一方を「551」と呼んでいるのである。551は、独立当時の電話番号に由来するなど諸説ある。
http://www.551horai.co.jp/
 ついでに言えば、カレーの有名店の自由軒は「せんば自由軒」というのもあり、客は混乱する。餃子で有名な「王将」も、王将フードサービスが運営する「餃子の王将」、通称では「王将」、「餃子の王将」、「京都王将」などがある。それとは別に、「餃子の王将」創業者の縁者が始めた「大阪王将」というのもあるからややこしい。
 私は551の豚まんが大好きなので、通常は、チルド(急速冷蔵)したものを、折を見て取り寄せているのだが、今回は関西空港から帰ることでもあり、売店でチルドを買う必要がない。通常の蒸して冷ました製品を買うことにした。
「チルドじゃなくても、大丈夫ですよね」と関空内の販売員に聞いた。
「はい、大丈夫です。冷蔵庫に入れたら数日は大丈夫ですが・・・、機内で匂いますよ」と、にっこり。
 そう、キムチや沢庵ほどではないが、豚まんは匂う。だから、大阪のデパートやショッピングセンターで、「うん? 何だ? これは・・・」と気がつくことがあり、その周辺を歩くと、551の売店があるという体験を幾度かしている。
 大阪市歌は、1921年に制定されている。大阪市花は、1987年に制定されて、サクラとパンジーに決まった。大阪市香はまだ決まっていないが、551がふさわしい。
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 関東の肉まんと比べて、どの関西の豚まんはどこもうまいと思うが、私の好みでは551は別格だと思う。歯ごたえのある皮がうまい。唯一の取り寄せ食品だが、関東ではそれほどファンが多くない。コンビニの肉まんがうまいと思っている人が多数派なのだろう。