970話 大阪散歩 2017年春 第9回

 新しい新世界


 新世界と呼ばれる場所は、天王寺公園の隣り、浪速区にある。我が安宿からは、JR線のすぐ向こう側だ。
 もとは1903年に開催された内国勧業博覧会の会場だった。博覧会終了後は一時陸軍の所有になったが、民間に払い下げられて、歓楽地へと姿を変えていった。通天閣がこの地の象徴だが、マスコミ的には、グリコの看板、くいだおれ人形などと並んで「ベタな大阪」を表現するときの必須アイテムである通天閣がある地区だ。
 通天閣から南に下ると、ジャンジャン横丁、JR線の線路をくぐると、飛田遊郭に至る商店街が続いていた。そういう立地になっているために、新世界から飛田までは、「大人の遊び場」として栄えたのだが、1958年の売春防止法施行以後は、大阪の暗部として取り残される状態になり、それが「異界」としてよそ者にもてはやされる地区となった。
 私が初めてこの場所に足を踏み入れたのは、高校生だった1970年、大阪万博を見た後、噂の新世界に行った。それ以後何度も来ている。たぶん、最後に行った10年くらい前で、「いつ行っても、なにひとつ変わらない」という感じだった。通天閣そばに芝居小屋があった(これは、今もある)。串カツ屋は何軒かあった。将棋と囲碁の会所「三柱クラブ」とか、洋服のたたき売り屋、ホルモンうどんがある立ち食いうどん屋などが印象に残り、行くたびに、「ああ、まだ営業しているんだ」と確認していた。なにかの、大きな工事が始まっているのはわかっていたが、新世界はジャンジャン横丁も含めて、変化は感じなかった。時とともに老けていく街という印象だった。2003年に出版された『大阪不案内』(森まゆみ筑摩書房)には、地元の人の話で、「ずい分、新世界もさびしくなりました」という話を紹介している。
 今回、久しぶりに行ってみると、「おいおい、おお! これはどうしたことだ」と言いたくなるような変わりようだった。新世界は、串カツのテーマパークになったかのような変わりようだ。ほんの数年前のことだが、かの「ケンミンSHOW」(大阪・読売テレビ制作)で、「非大阪人は、大阪と言えば串カツというイメージがあるようですが、串カツ屋は新世界界隈に多いだけで、大阪で広く食べられているわけではありません」という構成で番組を作っていたのだが、それが正しい報道であったとすれば、わずか数年で大阪は大きく変わったことになる。新世界が串カツのテーマパーク化しただけでなく、大阪のさまざまな地区の食堂に、「天丼」「とんかつ」などと並んで、「串カツ定食」がある。居酒屋チェーン店の大きな看板にも食堂の商品サンプルでも、串カツがある。大阪のうどんは、讃岐勢に攻められているので、お好み焼きとタコ焼きに続く3番手の大阪グルメとして、串カツを売り出そうという大手広告代理店の戦略かもしれないと思えるほど、串カツが大盛況なのである。これは、「ケンミンSHOW」の報告が間違いで、以前から大阪の街には串カツが広がっていったのか、それともここ数年で一気に串カツの拡散化が起こったのか、よそ者である私にはわからない。

新世界から遠く離れた天満宮付近で

 新世界の串カツパーク化は、どうやら外国人観光客の進出と時期的に関係があるのかもしれないという仮説が頭に浮かび、詳しく調べてみたくなった。この新世界のど真ん中に(「どまんなか」は大阪弁東京弁なら「まんまんなか」という)東横INN大阪通天閣前がオープンしたのが2015年5月、ネット予約をすれば4000円以下の料金(朝食付き、消費税込)だ。その近くに東横INNあべの天王寺が、2014年10月にオープンしている。通天閣の北には、東横INN大阪なんば日本橋がある。こうした割安のホテルを利用しているアジア人客たちが、日夜こぞって新世界散歩をしているようだ。これが新世界串カツテーマパーク化の推進力だろう。
 串カツは、外国人にも料理法でも価格でも抵抗はなく、手軽に買えて、食べやすく、紙コップに数本入れてもらい、立ち食いもできるから、ほんのちょっと味見をしたいという観光客にもぴったりだ。レトロな(じっさいは、さびれた)「大人の遊び場」は、おもにアジアの観光客の登場で、串カツ広場と変身したのだというのが、私の想像である。

 月替わりで色が変わるだけで、色そのものに特別なメッセージがあるわけではないらしい。ただし、頂点は色で天気を予報している。この写真の白色は、明日は「晴れ」。