972話 大阪散歩 2017年春 第11回

 大阪城


 奈良で暮らしているときに、大阪城に行ったことがある。それが家族旅行だったのか、近所の人といっしょの行楽旅行だったのか、幼稚園か小学校の遠足だったのかまったく覚えていないが、この城に行ったことは覚えている。あれから60年近くたって、また行ってみようと思った。ちょっとした気まぐれである。
 天守閣のなかに入って、「そうそう」と思い出した。外から見れば城なのだが、なかに入ってしまえばただのコンクリートのビルで、おもしろくない場所だったことを思い出した。そんなことを、覚えているものだ。城に対して、大いなる期待を抱いて出かけたわけではないから、それはそれでいい。大阪を眺めるには、あまりに高層すぎて、かつ高額のアベノハルカスよりも、このコンクリート城の方がふさわしいのではないかと思っていた。上から街を見ると、その街の構成がよくわかって興味深いのだが、あまり高すぎる位置からだと、生活が見えなくなる。ほどほどにいい高さというものがある。
  天守閣展望台から大阪の四方を眺めているうちに、橋を渡りたくなった。北に白い橋が見えた。地図をみれば、「川崎橋」という名がついていることがわかる。支柱からのびたロープで橋げたを引っ張る斜張橋(しゃちょうきょう)だ。横浜ベイブリッジと同じ法式の橋だ。吊り橋のように見えるが、吊り橋は、支柱をつなぐ太いロープから別のロープを下ろして橋げたを結び、吊っている。斜張橋は、支柱から延びるロープが直接橋げたとつながり、引っ張っているから別の方式だ。
 大阪散歩をしようと思い、資料を買い集めているなかで、「欲しいが、やめておこう」と思った本が、『大阪の橋ものがたり』(伊藤純、橋爪節也、船越幹央、八木滋 創元社、2010)だ。あまりにおもしろそうで、この本を手にしたら、橋巡りだけで大阪散歩が終わってしまいそうで、だからそうならないように、意識的に買わないようにしていた。
  大阪城から気になる橋を見つけたら、ついつい歩きたくなって。大阪城を出た。イベリア紀行のポルトのところでも書いたように、私は橋が好きなのだ。
大阪城を京橋口から出ると、左手に追手門学院日本経済新聞社の前の道を進めば寝屋川にかかる京橋だが、どうやら自動車専用道路らしく、歩道橋を歩いて行くと、それが大阪橋という歩行者専用橋でもあるとわかる。正面には、京都三条と大阪淀屋橋を結ぶ京阪本線の線路が立ちはだかり、線路を超える高架橋はないぞと心配をしていたら、線路をくぐる地下道があり、地上に出たら目の前に大川にかかる白い川崎橋。大川の旧称は淀川。大川、堂島川、安治川と名を変えながら流れるのが旧淀川で、現在の淀川は洪水対策のために作ったもので、大阪駅新大阪駅の中間あたりを流れている。
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 保守点検作業をしているらしい川崎橋130メートルを渡り、大川に沿って桜ノ宮公園を歩けば、シートで作った小屋掛け生活者の長屋が続き、その向こうにある古い建物は、桜の季節には有名な造幣局。その入り口を探したが見つからず、自動車道路まで歩いて、正面入り口から造幣局に入り、造幣博物館に寄る。世界のコインコレクションがおもしろい。私が旅行していたころのインドのコインは変な形のものがあったが、そういう懐かしのコインがある。タイには、1960年代に発行した9角形5バーツコインというのがあり、私も使っていたことがあるが、あまりに偽物が多いという理由で、70年代後半には姿を消した。そんないわくつき5バーツコインは、ここにはなかった。
 造幣局の正面入り口の向かいにある旧桜宮公会堂というのは、じつは変な建築物だ。1871年に竣工した造幣寮鋳造所が、1927年に老朽化のために取り壊された。1935年、大阪市明治天皇記念館(聖徳館)を建築する際に、正面部分は、保存してあった旧鋳造所の正面玄関の石で再現した。つまり、偉そうな正面部分だけがリサイクルなのである。戦後、この建物は桜宮公会堂と図書館になり、1957年に正面玄関部分が国の重要文化財に指定された。そして、今、企業が借り受けて、結婚式場やレストランとして利用されている。
 造幣局散歩のあと、すぐ近くにある象印本社の「まほうびん記念館」に行ったのだが、予約制ということで、入館できず。残念。ちなみに、たった今知ったのだが、象印の正式社名は、象印かZOJIRUSHIだと思っていたのだが、「象印マホービン株式会社」だ。