977話 大阪散歩 2017年 第16回

 油かす


 もう15年以上前になるだろうか、関西の学者と食文化の雑談していたときだ。
 「最近、大阪では油かすを出す店が現れて驚いているんですが、ご存知でした?」
私は「知りません、まったく」と答えた。「油かす」なるものがどんなものなのか想像はつくが、彼がなぜ声をひそめて話し始めたのかがわからなかった。
 「前川さんは関東の人だから、そもそも油かすを知らないか。あれはねえ、いわゆる被差別部落の食べ物なんですよ。それが、最近は堂々と表に姿を見せて、かすうどんなど、かす料理を出す食堂があるんでびっくりしているんですが・・・」
 そこにやはり関西の研究者がコメントを加える。
 「以前は、その名を口にするのもはばかられる食べ物だったのに、いまや看板を出して堂々と商売ができる時代になりました」
 食文化研究であれ、料理研究であれ、関西では、以前は雑誌の文章名などで、「油かす」の語を使うことははばかられたし、ましてやテレビでは要注意語だったのだろう。それが今は、店の看板にもその語が使われているというのだ。
 あれから何回か大阪に行っているのだが、油かすを食べるチャンスがなかった。今回は大阪に到着した日の最初の食事が「かすうどん」だった。新世界で食べた。
素うどんに、ポテトチップスのような薄い片をひとつまみのせただけのもので、「高いな」と思った。値段を覚えていないが、600円くらいだったろうか。
 今、この文章を書く手を休めて、インターネットで「かすうどん」を検索してみると、東京にもかすうどんを出す店がいくらでもあり、時代の変化を感じている。なにも、大阪に行かなくても食べられたのだが、そこはやはり、本場をいうことで・・・。
 油かすというのは、広義には牛、豚、馬などの内臓を乾煎りして出てきた油を搾った残り物のことで、油(正確には脂)は石鹸になったらしい。狭義には牛の腸の脂肪をとった後の残りかすだ。ポテトチップスよりももっと薄く切って、うどんにのせる。パラパラに乾燥した片々なのだが、うどんの汁を吸うと、固めの麩のような感触になり、汁に獣の香りがつく。
 タイで食べていた豚の皮を揚げたものは、かっぱえびせんにちょっと似た食感だったが、大阪の油かすは、固い麩に近い。「うん、うまい」というほどでもなかったから、その後2杯目を食べることはなかった。
 新今宮スーパー玉出の肉売り場で見つけたのが、この油かすだった。油でカリカリに揚げた牛の腸を5センチほどに切ってトレイに置かれ、「100g 498円」の値札がついている。手間がかかっているのだろうが、この値段ならそこそこ以上の輸入牛肉が買える。だから、かすうどんは高かったのだ。100グラムで500円もする油かすを買うなら、私は安い豚バラブロックか牛筋を買う。ソーセージでもハムでもいい。油かすは麩のように汁を吸うとカサが増えるのはわかっているが、やはり高い。
 ちなみに、今はアマゾンでも楽天でも、油かすは買える。アマゾンのこの商品の場合、250グラムで1980円(送料別)だ。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AD-%E6%A5%AD%E5%8B%99%E7%94%A8-%E9%80%9A%E8%B2%A9-%E5%9B%BD%E7%94%A3%E6%B2%B9%E3%81%8B%E3%81%99-250g-%E3%81%82%E3%81%B6%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%99%E3%81%86%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%9E/dp/B06W9MYLDF/ref=sr_1_7?s=food-beverage&ie=UTF8&qid=1493520217&sr=1-7&keywords=%E6%B2%B9%E3%81%8B%E3%81%99
 油かすについて、その歴史や製造工程などを詳しく書いているのが、『ホルモン奉行』(角岡伸彦新潮文庫、2010)だ。「私が住む大阪で、最近『かすうどん』と書かれた看板をよく目にするようになった」という書き出しで、36ページも油かすの情報が続く。この文庫の親本は、解放出版社から出た単行本で、発売は2003年。そのころに、「最近『かすうどん』と書かれた看板をよく目にするようになった」というわけで、それは私が関西在住の学者から油かすの話を聞いた時期と同じだ。どうやらどうやら、2000年代に入ってから、油かすが表舞台に登場するようになったらしい。  
 初めて油かすの話を私にした学者の名を、思い出を込めて書いておこう。環境考古学の松井章さん、2015年死去。私と同い年だった。