980話 大阪散歩 2017年春 第19回

 雑誌「大阪人」


 今、生まれて初めての体験をしている。
 ライターになるはるか前から、あえてマイナーな分野を選んできたわけではなのだが、豊富な資料がある分野にほとんど興味がなかった。すでに多くの人が読んでいる本なら、なにも私が読むことはないという気持ちが強い。ライターになってからは、すでに書いている人がいる分野なら、私が屋上屋を重ねることはないと思う。資料が少なすぎるという分野を選んできた。東南アジアの食文化や、タイの食文化や音楽の話など、日本語の資料がほとんどないのはもちろん、外国語の資料も少なかった。台湾やべトナムやイベリア半島などは、日本語の資料は多いが、それでも私が知りたい分野の資料となると、段ボール箱1個程度を買い集めれば、「まあまあかな」という充足感はあった。学術論文は読んでも、翻訳小説に手を出さなければ、それほど多くの資料があるわけではない。
 そして、今、大阪だ。東京や京都に比べれば資料は少ないとはいえ、すぐに手に入る本だけでも、到底買い集められないほどの量だ。一生かかっても読み切れない資料がすでにある。私の興味範囲でいえば、最高最大の資料は、2014年に休刊した雑誌「大阪人」だ。途中から隔月刊になったりしているので、全部で何号出したのかは、ちょっと調べただけではわからない。
 ネット情報をつぎはぎすれば、「大阪人」を事実上廃刊に追い込んだのは橋下徹らしい。前市長の息がかかった出版物だから、補助金打ち切りという行為で廃刊に追い込んだという説もある。それが事実かどうかはわからないが、そもそも補助金がなければ成り立たない雑誌だったのだろう。この前川が「おもしろい」というのだから、売れに売れている雑誌のわけはない。若い女の子が、「わっ、オシャレ〜!」とキャーキャーいうような雑誌ではまったくない。雑誌の紙面構成は、やはり休刊になっている「太陽」平凡社)の感じに近い。
 雑誌専門のネット書店では、バックナンバー47点を売り出している。さらにネット情報を探ると、ヤフオクに「64冊10000円」で売りに出ていた。欲しい、読みたい。そう思うのだが、「何を、いまさら」という気もする。大阪で育った人は、自分の歴史にプラスして、祖父祖母などの記憶も合わせて100年ほどの歴史を自分のものにしている。すでに、そういう人がいくらでもいるというのに、よそ者が調べて、大阪人が「なるほどね」と納得してもらえる文章を書ける気がしない。それ以前に、そもそも大阪の本を書くわけではない。書こうとも思わない。趣味で調べものをしているに過ぎないのだから。
 「大阪人」に連載されたあと単行本になったものもちょっと読んだ。『まぼろしの大阪』(坪内祐三、ぴあ、2004)や、『大阪不案内』(森まゆみちくま文庫、2009)の2冊は、著者の個人的な旅行の記録である。資料を読み漁って正面から対峙した本ではない。徹底的に歩いたわけでもなく、長時間、聞き取り取材をしたわけでもない。ご両人とも、よそ者が本格的大阪本に手を出すべきではないとわかっているからだ。資料はいくらでもあり、事情通も無数にいる。それがわかっていて、それでも大阪本を書こうとするなら、よほどの文章力が求められる。だから、「よそ者の大阪異文化衝突物語」の名作がないのだ(大阪人の東京物語はある)。
 私もまた、大阪本を書く気もないのに、大阪の本を買い集めている。「大阪人」も、すでに何冊か買っている。今読んでいるのは、2011年9月号「特集 旅する24区」だ。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E4%BA%BA-2011%E5%B9%B4-09%E6%9C%88%E5%8F%B7-%E9%9B%91%E8%AA%8C/dp/B005AY69S8/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1494434182&sr=1-1&keywords=%E5%A4%A7%E9%98%AA%E4%BA%BA%E3%80%802011+9%E6%9C%88%E5%8F%B7
 大阪市24区それぞれの物語を、ゆかりの人が寄稿している。私でも知っている書き手の名をざっとあげておく。梁石日玄月わかぎゑふ岡崎武志、後藤正治黒川博行西加奈子伊集院静永江朗橋爪紳也、そして東淀川区を描くのは、いしいひさいちグレゴリ青山
 豪華である。支払う原稿料はかなりの額になるはずで、だから赤字で休刊となったような気もする。理想的には、大阪府にも大阪市にも支えられず、書き手の知名度に頼らず、自由に府や市を批判できる立ち位置の雑誌を作ることができなかったのかなどと、部外者はあれこれ考える。
 「大阪人」のバックナンバーの表紙を眺めながら、思った。大阪の企業は、この雑誌を支えられないほど脆弱な体質になってしまったのか。この雑誌を生かそうと動く広告代理店はなかったのか、と。多くの人が欲しがる雑誌は、「食う」と「買う」情報だけのフリーペーパー(あるいは、デジタル情報)だろうから、しょせん深い内容の雑誌など売れないのだ。

 中之島公園から土佐堀川を眺めると、水面に水鳥が何羽も浮かんでいた。