988話 大阪散歩 2017年春 第27回

 大阪のことば その1


 大阪ではどういう言葉が使われているのかというのも、私の大いなる関心だった。テレビから聞こえてくる大阪芸人の言葉は芸人語であって、普段使われている言葉とはだいぶ違うはずだ。
 大阪弁に嫌悪を感じることがあった。腐った魚を鼻先に突き付けられたような嫌悪を感じていたから、大阪弁が嫌いなのかと思っていたのだが、桂米朝のインタビューを聴いていても嫌悪感はまるでないし、大阪の電車に乗っていて聞こえてくる大阪弁にうんざりすることもない。関西に友人知人が何人もいるが、友人と話していて当然ながら嫌悪は感じない。これはどうしたわけだと考えていてわかったのは、大阪弁そのものが嫌いなのではなく、大阪弁をしゃべっているその人物が嫌いだから、その口から流れ出る大阪弁にうんざりしているのだと気がついた。例えば、笑福亭鶴瓶桂小枝浜村淳などの、盛夏のアスファルトのような大阪弁が嫌なのだ。慇懃無礼な態度が嫌いなのである。「オレはおもろいぞ」と誇示したがる素人も嫌いで、「東京の人間は、ボケても突っ込んでくれへん。お笑いがわからへんねん」などという大阪のヤカラがいるが、「大阪人は笑いの才能があり、笑いに厳しい」という虚構を、私は信じない。あんなつまらないことで大笑いしているんだから・・・・といった話は、今はいい。話のテーマは言葉だ。
 耳を澄ませて大阪を散歩していると、意外なことに、いわゆる共通語(東京弁とか、標準語などと呼ぶ人もいる言葉)が聞こえてくることも多い。考えてみれば、当然だ。大阪という大都会には、日本各地から人がやって来る。キタやミナミの繁華街には、旅行者も出張サラリーマンも関西以外から来た学生もいる。彼らの共通語は、関西弁ではなく、日本語の共通語だ。
 中国・四国から大阪に移住してきた人は、大阪弁世界に比較的なじんでいくだろうが、東日本から大阪に来て住み着いた人は、何年大阪に住んでいても、そのほとんどは大阪弁が日常語にはならない。ひょんなことから、鶴橋のはずれで商店主と立ち話をしたのだが、彼は長野出身で奥さんは山梨出身で、大阪弁は話せないと言っていた。よそ者の感覚では、大阪で暮らしている人はみな大阪弁をしゃべっているような気がしていて、テレビの「秘密のケンミンSHOW」では皆大阪弁をしゃべるが、当然のことながら、大都会の言葉は入り混じり、現実は大阪弁一色ではない。そういう当たり前のことが、現場に体を置かないと実感できない。だから、旅に出た方がいい。旅先の話し声に耳を澄ました方がいい。様々な人としゃべった方がいい。
 生まれも育ちも大阪なら、大阪弁をしゃべるのか。大阪市東住吉区生まれの高村薫は、『半眼訥訥』(文春文庫、2003)で、「わたくし自身は十分には大阪弁を話せません」と書いている。両親が大阪出身ではなく、育ったのが吹田市の新興住宅地なので、タコ焼き的大阪世界とは無縁だったという。少なくとも先代からの大阪住まいという人ばかりの土地ではなく、日本各地からやってきた人たちで成り立つ新興住宅地では、大阪色は薄い。ベタな大阪世界とは無縁だったから、ベタな大阪弁や老人たちが使う大阪弁とも縁がなかったということだ。人によって違うが、日常語が関西訛りの共通語になっていたりする。
 新興住宅地ではないが、我が安宿がある釜ヶ崎も、やはり日本各地からやってきた人たちが漂い、身を寄せている。だから、通りで耳を澄ましても、テレビの大阪弁はあまり聞こえてこない。路地を歩きながら、電話で生活保護の申請書類について問い合わせている中年男も、共通語でしゃべっていた。それが現実の、大阪の言葉、つまり大阪で話されている言葉だ。
 おまけの話。野菜の回で書こうか、言葉の回で書こうか迷っていた話をここで書くことにする。散歩をしていたらオフィス街に出て、しかしビルの前にはテントが並んでいた。農産物の即売会のようだ。野菜や果物、ジャムなどの加工品も売っている。珍しい商品があるかどうか目が探していたら、白い棒状のものを見つけた。スーパーマーケットではあまり見ないものだ。英語ではホースラディッシュアブラナ科 horseradish)、日本ではワサビダイコン、セイヨウワサビ、山ワサビなどと呼ぶ。粉末ワサビの原料で、安いチューブ入りワサビの原料も、これ。この露店でおっちゃんがテーブルに並べている商品のひとつだが、紙に書いた商品名は、「ホールダデッシュ」。河内訛りの言文一致。

 不思議といえば不思議、当たり前と言えば当たり前、こういう「いかにも大阪」という地区では、よそ者ばかりなので大阪弁度はかなり低い。

 画面右側にいる60人ほどの人たちは、全員タイ人だった。黒門市場にしても、今は日本語が少数言語になりつつある。