996話 大阪散歩 2017年春 第35回

 賀名生へ その2


 このアジア雑語林で台湾のことを書いていたころ、インターネットで情報を探しているときにとんでもなくおもしろいブログを見つけた。すぐさま「お気に入り」に入れたのが、台湾の大学で日本語教師をしている濱屋方子さんのブログだった。実名と身分を出して書いている気風(きっぷ)がいい。潔い。私は、匿名でうだうだ書いている発言を信頼しない。たいていは、読まない。
 たまたま読んだ濱屋さんのブログの回がとびきりおもしろかった。テーマは、「台湾のトイレは紙を流してはいけないという実情を探れ」というもので、トイレットペーパーを各種買ってきて、それらを水につけて、溶け具合を調べるという実験をやっていた。濱屋さんは横浜の高校教師(国語)在職中に中国で日本語教師をやり、定年退職語は台湾の大学で日本語教師をしていた。そのときすでに年齢は70代だったと思うが、そういう方が、台湾のトイレットペーパー事情を実験によって調査しようという探求心に敬服し、ブログにときどき感想やコメントを書き、様々なことを教えていただき、そのうちに濱屋さんの個人アドレスへメールを送るようになった。学期末に帰国したときは、横浜で会って食事をした。その時はごちそうになったので、「今度は台湾で、私がご招待します」とは言ったものの、「台湾のレストランと料理なら、私の方が詳しいですよ、確実に」とおっしゃった。いつか、濱屋さんが勤務する大学に行って、学食事情を調べたいと思っていた。
 2015年、濱屋さんは、乳ガンの宣告を受けたとブログで発表した。寿命は天に任せる。あがきはしない。その強さに、ブログの読者はびっくりした。「ガンです」と告げた時の、台湾人と日本人の反応の違いを、冷静に観察してブログに書いていた。そういう余裕のある人だ。深刻に語り、全身で励まそうとする台湾人と、軽く触れるだけでできるだけ深刻な会話にならないように気を配る日本人の違いがあると書き、事実私も深刻なメールは書かなかった。あたかも何も知らないかのように、いつもの雑談を書いて送った。
 2016年の後半になると、体調が悪くなってきていることは明らかで、ブログが毎日は更新されなくなった。秋になり、私はイベリア半島の旅に出ることになり、「しばらく日本を留守にします」とメールを送ると、「一路平安」(道中ご無事で)という返信が来た。もしかして、これが最後のメールになるかもしれないという予感があったが、帰国したその日にブログ「濱屋方子の台湾日記」をチェックすると。とびとびではあっても更新されていて安心したのだが、数日後の11月3日に「緊急入院しました」とあり、18日に近親者の手で「9日に亡くなりました」という報告があった。予期していたこととはいえ、週に数回はメールでやり取りしていた人の死はつらい。
http://taiwanyuri.blog.fc2.com/
 そのころ、インターネットで調べ事をしていて、かつてはよく会っていた知り合いの何人かがこの年亡くなったことを知った。年上もいれば同年もいる。年下もいる。そういう人たちの思い出話をこのコラムで書いておきたいという気持ちもあったが、同時に書きたくないという気持ちもあった。ちょうど濱屋さんと同じころに、「すでに手遅れの、ガン」を宣告された親しい友人がいて、彼女もこのブログを読んでいることは知っているから、病気のことは触れたくなかった。ましてや、死の話は書きたくなかった。
 その、親しい友人と賀名生に行った。彼女の病気のことに触れないわけにはいかないので、賀名生に行った話はここには書かないことにしようかと悩んでいたのである。