1004話 通過点に過ぎない


 ある記録を作った野球選手がインタビューで、「これは単なる通過点ですから、これからも先に進むだけです」などと答えていることがあるが、その気持ちが私にはよくわかる。この「アジア雑語林」が1000回を超えたが、1000回超えを目標に書いてきたわけではないので、感動も感慨もない。並々ならぬ苦労があったということはない。ただ単に、とてもヒマだったというだけだ。
 1000回目に特別な文章を書こうとは思っていなかった。
 私のエッセイというかコラムのようなものは、このアジア雑語林以前から続いていた。そもそもは、神田神保町の書店アジア文庫の「新刊案内」という小冊子に書き始めた「活字中毒患者のアジア旅行」というのがきっかけだった。新刊のリストだけでは客に購買意欲を持たせるには不十分なので、「紹介記事を書こうか」と私がもちかけ、連載が始まった。しかし、悲しいことに、毎回おもしろい本に出合うことはできず、本以外の話を書いたり、出来の悪い本を批判したりという具合に連載が続いた。
 理系に強いアジア文庫店主大野さんは、デジタル化を独力で完成し、アジア文庫にホームページができた。その結果、新刊案内が印刷物からデジタル版に変わった。印刷物である「活字中毒患者のアジア旅行」は87回で終了した。文字数は時期によって変わったが、平均2000字として、原稿用紙にして400枚以上の文章を書いたことになる。初めの頃は、手書きの原稿を郵送していたが、そのうちにワープロ専用機で何回分か書き、フロッピーディスクを郵送していた。
 アジア文庫のデジタル化によって、連載タイトルを「アジア雑語林」と変えて、第1回から始めた。まだ私はパソコンを持っていなかったと思う。275回まで書いたところで、大野さんが亡くなって、アジア文庫のホームページの管理ができなくなった。そんなとき、「ウチに移りませんか」と声をかけてくれたのが、天下のクラマエ師こと蔵前仁一さんだった。旅行人元社員の田中元さんの助けもあって、旅行人のホームページの中に「アジア雑語林」を開設することができた。276回からは旅行人のホームページ分だ。
 「無理して更新することはないですから、まあ、のんびり書いてください」と蔵前さんに言われ、蔵前さんの「編集長のーと」並みには更新できなくても、田中真知さんの「王様の耳そうじ」よりは多く更新するのを目標にしますと答えると、「あの人を目標にしちゃいけないよ」。
 そんなことを言っていた蔵前さんも、間もなくブログよりもフェイスブックがおもしろくなったようで、ブログはめったに更新されなくなった。
 私は、毎週更新するという程度の頻度を考えていたのだが、旅行の原稿を書くようになって、原稿の量がとたんに増えた。旅から帰ると、一気に数万字の原稿を書き、資料を読みつつ訂正加筆していくとたちまち10万字くらいになった。50回分くらいの量になる。これを週1回更新していたら1年分になってしまう。だから、週に2回か3回の更新にしているうちにまた旅に行きたくなり、更新を中断して旅に行くという繰り返しで、原稿量がどんどん増えていった。
 アジア雑語林になって1000回、原稿量はたぶん200万字、原稿用紙にして5000枚分くらいだと思う。単行本10冊分くらいだろう。
 昨日、クレジット会社から支払明細書が届いた、25000円くらいの支払いで、すべてアマゾンだ。5000円分くらいはCDで、あとは書籍だ。そして書籍のほとんどは大阪関連の資料だ。すぐに手に入る新刊書は書店で現物を見て、買うかどうか考えるが、古書の場合は内容がわからないまま注文することになるから、一応、送料も合わせて1000円程度を目安にしている。売値1円という本もあるから、ひと月で古書は30冊くらい買うだろうか。ここ数か月はこのように大阪本を買い集めている。その前は、スペインとポルトガルの本を買い、その前は火野葦平とその時代の資料を買っていた。
 原稿料のないブログに、これだけのカネと時間をかけるのは、「おもしろそうだから」としか言いようがない。原稿を書いてカネを稼ぐのがプロならば、私がやっている行為はプロのライターがやることではない。しかし、私には知りたいことがあり、調べてみればおもしろい事実がいくらでもわかり、もっと知りたくなり、深い森に入っていく。道楽である。
 それにしても、原稿料をもらっている人たち、特に旅行関連の記事を書く人は、自分が書いている内容に疑問を持たないのだろうか。疑問を持ってもインターネット以外の情報を調べるということをしないのだろうか。
 「ウィキペディアしか見ないライターがいるだろうね」と、ある編集者に言うと、「ウィキペディアさえ読まないライターも、少なからずいますよ」。調べられる道具が手元にあっても、すぐに調べるとは限らない。時間がないのではなく、調べるという発想がないのだ。そもそも疑問など持たないか。