1006話 放送作家永六輔


 永六輔が死んで、彼がいかに偉大な人物だったかという評価がいくつものマスコミで続いている。そのほとんどは同意するが、多少の違和感はある。
 1970年代末頃までは、永六輔の本はすべて読んでいた。ラジオも聞いていたが、決してファンではなかった。気になる書き手ではあったが、放送作家的インチキさが気に入らなかったのだ。それは、「正しさよりも、おもしろさ」、「でたらめでも、おもしろい方がいい」という意識と行動だ。
 ラジオを聞いていて、「またでたらめを言って・・・」と思ったことは数多くあったが、ほとんど忘れてしまった。たぶん、一番多かったのは、ある事柄の起源やある言葉の語源などの解説が、諸説あるなかで、もっともおもしろいものを選んで紹介するというようなことをやっていた。ラジオでは、無知の代表者であるアナウンサーに、なんでもよく知っている永が教えるというスタイルをとることが多く、だからこそ発言がインチキだと恥の上塗りになってしまう。
 こういう発言は覚えている。番組で沖縄を取り上げたとき、音楽にも触れ、「沖縄では歌が非常に大事だから、どこの家にもかならず三線(さんしん 三味線)があり、みんな弾けるんです」などと言うから、「嘘つけ!」とラジオに叫びそうになったら、ゲスト出演していた沖縄の音楽家、その人は照屋林賢だったかもしれないが、すぐさま「どこの家にもある、なんてことはないです。弾けない人はいくらでもいます」と言ったので、永は急に話題を変えた。釣り人が釣った魚の話を始めると、「このぐらいの・・・」と言いつつ、ついつい手を大きく広げたくなるように、永の話はホラの傾向が強かった。放送業界用語でいう「盛る」である。
 あるいは、「単純化」も多かった。これも放送作家の腕前だろう。「インドは○○です」というような単純化で、「インドはどこもとっても暑い」とか「インド人は牛肉を食べない」といった解説で、わかりやすいが、正しい話じゃない。
 チャールズ・ブロンソンのファンであるみうらじゅんは、永が書いた文章に感動したという。ブロンソンが日本で広く知られるようになったのは化粧品マンダムのテレビCMだった。その撮影は手違いなどがあり、契約時刻までに終わりそうもない状況だった。スタッフが困って相談していると、「さあ、あと2時間で撮影をしてしまおう」と、ブロンソンは腕時計を見せながら言った。その時計の針は、2時間遅らせてあった。
 私もこの文章を読んでいる。
 みうらじゅんは、永六輔が書いたこのエピソードでブロンソンをますます好きになった。のちにイラストなど異能の人として有名になったみうらじゅんは、ブロンソンが出演したCMの監督、大林宣彦に会う機会があった。あの「美談」を詳しく知りたいと思ってたずねると、「ハリウッドの俳優が、そんなことするわけないじゃないですか。契約通り、しっかりと、そのままですよ」という監督の話を聞いて、永の創作美談に気がついたと、みうらじゅんがラジオで語っていた。
 「正確な話よりも、おもしろい話」、「たとえウソでも、おもしろい方がいい」というのが、バラエティーの作家である。永のほか、昔の放送作家である野坂昭如青島幸男大橋巨泉なども、そういう傾向の人物だった。最近では自称「ノンフィクション作家」の文章も、これだ。