1010話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その1

 初めての外国旅行


 天下のクラマエ師の出世作『ゴーゴー・インド』出版30年を記念して、「旅の回顧展」というのをやるらしい。「少年時代の話や昔の旅の話を書いてよ」と、私がいくら頼み込んでも、とたんに「そんな昔のことは覚えていない」とリック・ブレイン(カサブランカ)になってしまうというのに、今回はこともあろうに「ゴーゴーインド30年 旅の記憶」をテーマにした大イベントを開催するという。なんと、「記憶」ですよ。彼の「忘れた」は、やはり韜晦(とうかい)と諧謔(かいぎゃく)だったのだ。
 この回顧展のスピンオフ企画として、私は「ゴーゴー」以前のインドの話、グラフィックデザイナーの蔵前青年が天下のクラマエ師になるずっと前の、彼がまだ鹿児島の高校生だった時代のインドの旅の話を書いてみようかと、ふと思った。別の言い方をすれば、『地球の歩き方 インド』(初版、1981年)以前のインド旅行の話でもある。今も昔もインド旅行記はいくらでもあるから、同じような旅話をここで書く気はない。多少は調べて、現在からみた過去の話を、これから何回か書くことにする。
 初めてインドに行ったのは1973年だった。おお、なんと44年も前のことではないか。「インドはすごいところだ」、「変なところで、それがおもしろい」という噂を聞いて、現実のインドを見てみたくなった。それだけのことだ。あの時代に、若者が海外旅行をするとしたら、旅行先は数でいえばヨーロッパが圧倒的第一位だろう。次はアメリカで、それでほぼ終わる。その中の、誤差のような少数がインドに向かった。あのころ、「アジア」はほぼインドのことだった。まだ中国を自由に旅することはできず、東アジアや東南アジアには、初めから興味などないという若者がほとんどだった。だから、インドから中近東、ヨーロッパ、アフリカと旅した人でも、日本のすぐ近くの国には行っていないという人が割と多い。
 この旅をなにか有効なものにしたいといった邪心はまったくなかったので、旅日記は書いていない。紀行作家になるとか、写真家になろうといった向上心はまったくなかった。旅をしているだけで幸せで、将来のことなどなにも考えていない建設労働者の海外旅行だった。取材メモはもちろん日記も書いていないし、わずかに金銭出納帳のようなメモはあるが、これもコラムを書くにはたいして役に立たない。そのかわり、私にとって初めての海外旅行だったので、こまごまとした書類はスクラップブックに張り付けてある。最初で、しかし生涯最後の旅になるかもしれないという予感があったからかもしれない。現在の感覚なら、「生涯最後の旅」と書くと、病気か何かで、もう旅ができないのかといった意味に理解されるだろうが、あの頃の若者の感覚なら、海外旅行などという大それたことは、生涯で1回できるかどうかという大事業だったのだ。だから、スクラップブックに記録を残そうと思ったのだろう。
 あの頃、若者が多くやって来る中央線沿線の喫茶店や、ミニコミなども置いている新宿の模索舎などに行って、海外旅行関連資料を探し、店内に置いてあるチラシもきちんと点検した。今、確認のためにインターネットで「模索舎」を調べたら、なんと現在も営業中だとわかった。1970年の開店だ。
 http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/
 都内の何か所かで集めた海外旅行関連のチラシやミニコミやパンフレット類を点検していると、そのなかに格安航空券の広告があり、その会社で航空券を買った。バクチのようなものである。大手・中堅の旅行社が安い航空券を売る時代ではない。格安航空券会社に特化した会社もなかった。広告を出している旅行社が、信用できるという保証などまるでないのに、即金で全額を支払った。だから、バクチのようなものだったのだが、結果的には、私はそのバクチに勝ち、日本を出ることができた。