1013話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その4

パスポート


 パスポート申請書類に「一次」(正式には、1回往復旅券というらしい)と「数次」のどちらかを選べる時代になっていた。何度も外国に行ける自信などまったくないのに、根拠のない希望だけで、数次旅券を申請した。といっても、何か特別なことをしたのではなく、「一次」、「数次」と書いてある欄を見て、「数次」にをしただけのことだ。申請書類には、「渡航先」や「旅行期間」、「旅行目的」といった1次旅券用の欄があった。ちょっと前だと、数次旅券申請には、別の書類があり、その手続きは面倒だったらしい。簡単に誰でも数次旅券がとれるようになったのは、私の時代かららしい。
 旅券申請には、旅行するだけの資金があることを証明するために、例えば銀行の残高証明書が必要だった。「どこに行くなら、どのくらいの金額」という規定があったわけではない。借金をして口座に入金し、銀行に残高証明書を作ってもらったあとすぐに引き出してもいいのだ。数次旅券なら旅券の有効期限内に何度でも渡航できるのだから、実際上、残高証明というのは意味のない書類だったが、役所仕事だから、意味のない書類も要求された。こういうことを調べてみると、役所はまだ「1次旅券」のシステムのままだったが、国民の方は業務渡航も含めて、しだいに「数次旅券」の時代に移行していたことがわかる。
 旅先で会った日本人旅行者のなかには、数次旅券代6000円のカネを惜しんで、3000円ですむ1次旅券を取ったという人がいた。ツアーで行くなら1次旅券でいいのだが、フラフラと旅しようと思うと、1次はなんとも不便だった。渡航先を申請し、その国名を旅券に記入される。その国にしか旅行できないのだ。旅行しているうちにそれ以外の国に行こうと思ったら、日本大使館に行って、新たな国名を記入してもらわないといけない。この手間ヒマ手数料を考えて、「ああ、ケチをして1次にするんじゃなかった」と後悔した者がいた。あるいは、大使館に行く手間ヒマ手数料を惜しんで、旅先の旅行社でタイプライターを借りて、自分で行きたい国の名を記入したというヤカラもいた。これは犯罪だ。
 1次旅券というのは、「帰国するまで有効」というしろものなのだが、渡航者がすぐに帰国する業務や公用の渡航と、行きっぱなしになる移民を対象に考えていたからあまり問題はなかった。「帰国するまで有効」という一次旅券は、国によって問題が起きた。入国書類の「パスポートの発行地、発行年月日とその有効期限」の記入ができないのだ。有効期限の欄に「forever」と書いて、「ふざけんじゃない!」と怒られた旅行者がいた。旅先で、その当人から聞いた話だ。

★付録 『実用世界旅行』(杉浦康・城厚司、山と渓谷社、1970)に、当時の「一般旅券発給申請書」のコピーがそのまま載っていて、興味深い欄を見つけた。現在は、申請書に職業を書く必要がないのだが、当時は申請者の職業を書く欄があった。基本的には、職業欄にある職業とその番号をで囲む。もし、ここに載っていない職業の場合は、別の欄に具体的に書き入れるようになっている。さて、興味深いのは、その職業欄にあらかじめ載っている職業だ。00から数字が打ってあるのだが、その数字は省略して、上から順に、職業を書き出してみる。最初の方は、明らかに、政府が考える「偉い人順」だ。あるいは、この時代に海外旅行をしている人たちといってもいい。「農業従事者」というのは、農家のことで、「ノーキョー(農協)ツアー」と都会人が嘲笑した。農家が大金を持っていたのは、大都市郊外で、団地をはじめ新興住宅地の開発で、山野、雑木林、農地を売って大金を得ていたからだろう。こういう職業リストを見るだけで、時代を読むことができる。じっくりと解読していただきたい。
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