1016話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その7

 番外編 残高証明

 1013話で、パスポート申請の書類について書いたら、ミヤケ氏という方から、1980年代になっても銀行の残高証明と旅行計画書のような書類が必要でしたというコメントを頂いた。それで、ちょっと調べてみようと手を付けたら、学生のレポート採点という仕事がたまっているというのに、たっぷり半日遊んでしまった。そこで、その調査報告を、番外編として紹介しよう。
 旅行業関連の資料なら、そんな問題は簡単だろうと思ったが、なかなか情報が見つからない。30分ほどかかってつかんだヒントは、1989年の旅券法改正で、旅券申請の手続きが簡素化したという1行の情報だったが、詳細はわからない。現行の旅券法はインターネットで読めるが、改正前の条文がどうなっていたか、わからない。図書館に行く気はないし、法律のページに会員登録するのも面倒だから、方針を変えて、手元のガイドブックを調べてみようと思った。
 ちょうどいい具合に、『地球の歩き方 タイ』1989年版(1988年改訂版)が棚にある。19ページから「旅の準備と技術編」が始まる。最初が、格安航空券情報。こういう話題ならちょっと触れたくなるが、ガマン。次は「ヴィザについて」。その次はカネをどうやって持って行くかという話で、パスポートに関しては完全に無視している。この時代の他社のガイドは、ツアー参加者が持って行くものだから、パスポートもビザも基本的に「旅行者は知らなくていいこと」なのだが、「地球の歩き方」がそのマネをしたらいけないだろ。
 ちなみに、私がこの1989年版を持っているのは、買ったからではなく、コラムを何本か書いているからだ。ネット情報に、「昔は、前川は地球の歩き方に投稿していた」なんて書いているヤツがいたが、旅好き大学生じゃないんだから、勝手に投稿したわけじゃない。依頼されて執筆したのである、念のため。
 『地球の歩き方 タイ』の1990〜91年版も手元にある。これは前年版の流用なので、出版社が送ってきたのだろうと思う。原稿も写真も再利用していて、しかも韓国語版は明らかに私が撮影した写真を流用している(バンコクの書店で発見した)のに、原稿料が支払われないので、編集部に文句を言ったら。「原稿は買い取ったので、自由に使います」とぬかしたので、「そういう契約をしていないので、次の版から私の文章と写真はすべて削除しろ」というケンカになった。
 それはともかく、この版では「パスポートを取ろう」という欄があり、何と書いてあるかというと、「自分で簡単に取ることができる。そこで、まず最寄りの旅券課に行ってみよう」というだけで、申請書類のことは何も書いてない。行数だけはあるが、まるで情報のないよくあるページだ。
 次からは、タイの資料として買ったものだ。94~95年版は、前年度版とまったく同じ。『バンコク』(92~93年版)は、パスポートに関しては完全に無視。99~2000年版は、パスポート申請に必要な書類リストが載っていて、ちゃんとした説明になっている。残高証明はもはや必要ではない。しかし、自分を宛先にしたハガキが必要な時代だったと思い出した。ハガキに関しては調べがついた。記憶もある。
 1974 年、韓国で朴大統領夫妻暗殺事件(文世光事件)が起きた。大統領は無事だったが、夫人は犯人に射殺された。犯人の在日韓国人が、日本人共犯者の夫の申請書類を使って、日本人に成りすましてパスポートを申請し受給され、韓国に渡ったという事実がわかった。その結果、翌75年に旅券法の改正があり、申請が厳しくなった。パスポート申請者が申請書に記入した住所に住んでいることを証明するために、自分宛のハガキをパスポート申請時に提出しなければいけなかった。顔写真に透明シールを貼るのもこの年から。ハガキはもはや必要がないとされたのが、2009年3月である。
 ミアケ氏のコメントにある「旅行計画書」というのは、多分ツアーに参加する場合、そのツアー代金はすでに支払ったということを証明するような書類じゃないかな。それがあれば、残高証明入らないが、未成年の申請についてはよく知らない。
 旅券の研究がはかばかしい成果が上がらないので、再度調べてると、こういうことがわかった。1989年の旅券法改正で、一次旅券は原則廃止となり、数次だけになる。合冊がなくなるのも、この年。そして、「渡航費用の支払いを立証する書類」の提出義務が廃止されたのが、この年の4月だった。
 もう少し旅券雑学を書いておくと、数次旅券手数料が6000円から8000円に値上げされたのは、1978年。1983年には、旅券のページ数が40から24ページに減る。臨調行政改革によるものだというから、多くの日本人は空白だらけのまま期限が切れるのだから、40ページもあるのは無駄だと判断されたのだろうか。しかし、1978年に、36ページが40ページになったというのに、5年で大幅減ページだ。
 旅券も調べると、おもしろい。というわけで、仕事に戻る。