安宿を探せ、旅行ガイド 1
1970年代前半には、使い物になる旅行ガイドはなかったと書いた。1974年のインド旅行では、カルカッタでパラゴンホテルに泊まっているのだが、その情報は何かの資料で読んだのか、それとも旅行者に教えてもらったのかわからない。カトマンズのガイドもなかったが、小さな町だから、歩いて安宿を探してもすぐに見つかる。しかし、デリーやカルカッタといった大都市では、何も知らずに歩いて安宿を探すのはなかなかに難しい。どのようにして、私は安宿にたどり着いたのか。その謎を解明したくなった。
ちゃんとしたガイドはなくても、情報の断片はあったなあと思い出して、書棚を点検した。神保町や中央線の古本屋を歩き回って買い集めた本が何冊もある。中学時代から、図書購入台帳のようなものを書いているから、どの本をいつ買ったかはすぐにわかる。最初は、ほんの思いつきで購入ノートを書き始めたのだが、ライターになってからは、このコラムを書いている今のように、かなり役に立っている。
『若い人の海外旅行』(紅山雪夫、白陵社、1969)を買ったのは、1971年4月だった。東南アジアを船で旅するという情報は、発行の2年後にはもう過去の情報になりつつあった。69年当時は、船でタイに行くことも可能だったとわかったが、71年にはもう「昔話」になっていた。この本は、シベリア鉄道でヨーロッパに行こうと考えている若者を読者と想定したものなので、私にはたいして役に立たなかったが、溺れる者は藁をもつかむという心境で買ったのだろう。図書購入台帳を見ていると、やはり1971年4月に、次のような本を買っていたことがわかる。
『インドで考えたこと』(堀田善衛、岩波新書、1958)
『インドで暮らす』(石田保昭、岩波新書、1963)
『インド史』(山本達郎、山川出版社、1960)
旅行先をインドに決めつつあったことがわかる。それよりちょっと前に買ったのは、『800日間世界一周』(広瀬俊三、白陵社、1970 )、『脱にっぽんガイド』(牛島秀彦、KKベストセラーズ、1970 )などで、とにかく日本を出てやろうと策略をめぐらしていたらしい。
『中近東・アジア教養旅行』(紅山雪夫、白陵社、1969)を買ったのは、1972年7月だった。まったく役に立たなかった。1969年当時1ルピーは48円だったという歴史的情報を得ただけだ。
『インド・ネパール・セイロン』(紅山雪夫、白陵社、1971年)を買ったのも、1972年12月だった。この本は、ツアーに参加する人の教養書という面と、仲間たちとインドに行きたい人たちの旅行プランを立てるための資料で、旅行社に頼んでツアーを組んでもらう資料にはなるが、私の旅には役に立たない。
図書購入台帳に記憶にない本があった。
『インドの旅』(紅山雪夫、ワールドフォトプレス)だ。買ったのは1973年なのだが、この本の出版年を国会図書館のデータベースで調べると、「1974年5月発行」となっている。おそらく、それ以前に初版が出ているが、版元が国会図書館に納めたのはのちの版だったということだろう。この本を国会図書館の資料で調べている理由は、現物が手元にないからだ。いままで書き出した本はすべて手元にあり、現物を見ながらこの文章を書いてきたのだが、この『インドの旅』は、「今見つからない」というのではなく、買った記憶が消えているのだ。しかし、ワールドフォトプレスのほかの国のガイドを何冊も資料用に買っているので、ツアー参加者用ガイドという内容だということはすでにわかっている。
旅行史研究などやる気はまったくなかったが、旅行資料を買い集めていて、今もかなり残っている。しかし、この『インドの旅』は手元にない。その理由は、たぶん、あげたのだ。1982年にアフリカに行くとき、アフリカで死ぬかもしれないという予感があって、手元の本のうち、ミニコミ資料や入手しにくいインド関係書などをまとめてリュックに詰めて、雑誌「オデッセイ」編集部に持って行った。寄贈というより、押しつけだった。いまとなっては出版物よりも、当時のミニコミやビラ、チラシの方が貴重なのだが、私の手元にはない。こういう旅行資料は、当たり前だが、国会図書館にも、財団法人日本交通公社がやっている旅の図書館(青山)にも、観光学部がある立教大学の新座図書館にもない。正史ではなく、外史だからだ。