1027話 『ゴーゴー・インド』出版30年記念、あのころの私のインド その18

 雑記


 私のインド話も、今回が最終回だから、ノートを見ながら、思い出すままにいろいろ書いておこう。
 参考までに、カルカッタの路上で口にした飲食物と、その値段を書き出してみる。Pはパイサ、100パイサ=1ルピー=35円が目安。
 チャイ(ミルクティー)・・・・60P
 プレーンオムレツ・・・・60P  七論を路上に置いて、ベコベコフライパンで作る。できたオムレツは、木の葉の皿に盛る。
 サトウキビジュース・・・50P 100%サトウキビの搾り汁にライムと氷を入れる。
 カレー味のコロッケ1個・・・30P
 ジャガイモカレーをチャパティーで包んだもの・・・40P
 食事は、1食だいたい3〜4ルピー支払っていたようだ。
 インドは広いから、小さな町に行けば、まだ素焼きの紅茶カップとか木の葉の皿なども現役で使っているかもしれない。タイを例にすれば、「もう、あれはないだろう」というものが、調べればまだあることがわかる。ここ30年でも40年でも、地下鉄や携帯電話や銀行のATMのように、新しく登場したものはいくらでもあるが、消え去ったものはなかなか見つからないのではないか。長年にわたってインドを見てきた旅行者は、空港や駅で時間をつぶさないといけないときは、「インドから消えたもの」をあれこれ考えてみるのもいい。旅行者同士の雑談ネタとしてもいい。30年以上インドを見つけてきた天下のクラマエ師なら、そういうエッセイを書くにふさわしい人物なのだが、困ったことに、私が望むようなエッセイは書きたがらない人物でもある。
 カルカッタでは、日記に「氷 1kg 50P」という記入がときどきある。サルベーション・アーミーの裏手に氷屋を見つけたので、時々買いに行った。私の思いつきに乗ったもう一人のもの好き旅行者が、チャイ屋(紅茶屋)に行って濃厚なミルクティーを大きなカップに入れてもらって持ち帰り、私は氷屋に行って氷を買い、宿で両方を合わせて作ったアイスミルクティーを作り、がぶ飲みしていた。他の旅行者からは、「狂気の沙汰だ」、「絶対に下痢する」と忠告を受けたが、やめようとは思わなかった。あの時代のインドの常識では、あの氷は飲用ではなく、魚などを冷やしておくための氷だっただろう。氷の原料は、多分水道水だろう。普段、水道の水をそのまま飲んでいるのだから、氷になっていればより汚染が進むということはないだろうという推察である。
 食堂、飯屋で出てくるコップの水は、水道水だろう。それを毎日ガブガブと飲んでいるのだから、氷になったからと言って、特別汚染されていると考えるのは間違っている。水道水が嫌で、コーラと紅茶ばかり飲んでいる者もいたが、そういう旅行者は多くはなかった。そういう者は、たいていは、つい先日までひどい下痢に苦しめられていた旅行者だ。インドだけではなく、日本でもペットボトル入りの水など売っていなかった時代なのだ。旅行者の多くは水道水を飲んでいた。その心境は、「何も考えず当然のこととして」飲んでいた者もいれば、「これ、やばいかもしれない、心配だな」と思いつつ飲む者もいただろう。カルカッタでアイスミルクティーをがぶ飲みしていた我々ふたりの胃腸に、何ら異変は起こらなかった。
 カルカッタのことを書いていたら、パラゴンの日々をいろいろ思い出した。そういえば、洪水の日があった。前夜からの雨は昼頃にはやんだのだが、フリースクール・ストリートのあたりは、洪水になっていた。もうちょっと深いと、パンツも濡れるというほど道路が水没していた。そんな日は出かけなければいいのだが、航空会社に行かなければいけない用があり、たぶん休日の前日だから、どうしても出かけなければいけなかったのだろう。普段、このあたりの路上の至ることころで、人間も動物も、この世の生きとし生けるものすべてが排泄物を垂れ流していることは知っている。半ズボンをはいているのだからと覚悟を決めた私は、いたしかたなく、汚物の川に足を踏み入れた。蚊や南京虫に食われた脚は、掻くと膿み、いつまでも直らないのだが、その患部も水没した。旅行者の雑談によく登場する「インドの恐ろしき風土病」のことが頭をよぎったが、決してひるまず、航空会社へと歩き出したのであった。
 パラゴン付近を散歩していたら、路地で日本人旅行者と出会った。横浜から香港に行ったソ連船で出会った男が、モダンロッジに泊まっていた。パラゴンで出会った日本人旅行者と中庭で雑談していたら、突然私の後ろを指さし、「あっ!」と声をあげた。振り向くと、後ろに日本人旅行者が立っていた。「なんと、まあ、ここで会うかね!」。事情を聞けば、二人は3年前にニューヨークで同じアパートの隣りどうしに住んでいて、その後まったく連絡することなく3年が過ぎ、その日のカルカッタの安宿で、ふたりはやはり隣りの部屋に泊まっていたとわかった瞬間だった。この年、カトマンズで会った日本人と、翌年パリのオルリー空港でばったり再会した。旅をしていればそういう偶然があったのだが、30代から旅行者がいっぱいいる宿にはもう泊まらなくなったので、こういう劇的再会をすることはなくなった。
 カルカッタバンコクまでの切符を買った。カルカッタビルマ経由バンコク行きのビルマ航空便。97ドルなので、100ドル支払い、おつりはルピーでもらった。97ドルは29000円くらいだから、ペナン・マドラスの船賃よりも3000円ほど高い

 1978年に3度目にして最後のインドに行った。エジプトに行くために、ボンベイで乗り換えをしなければいけないのを利用して、1週間ほどいた。書きたいことは、何もない。インド話を書きたい人は多いだろうから、そういう人にお任せする。 
 昔のインドの話は、今回で終わり、しばらくは平穏な読書の日々に戻る。アマゾンで取り寄せた本が山になっている。