1030話 ワンダーフォーゲルの事などから その1


 若者の旅の歴史を考え始めて、もう数十年になる。なぜ若者なのかというと、仕事や家族など社会の枠が低く弱いからだ。別の言い方をすれば、比較的自由に動ける可能性があるから、若者の旅を調べるのはおもしろそうだと思ったからだ。
 若者は、何をきっかけに旅に出ようと思ったのか、若者の心を刺激したのは何か、それぞれの時代の文化、政治や経済との関連など、手に負えないほどの調査項目を抱えて、日々資料を探し、読み、考えている。
 バックバッカーの源流は世界にいくつもあるだろうが、いろいろ考えていて浮かび上がってきたのは、ドイツに太い源流がありそうだということだ。
 ドイツやその周辺には、中世から遍歴職人という制度がある。いまでも細々とだが、残っている。職人の世界には、見習い、職人、親方という序列があり、独立して営業するには「親方」(マイスター)の資格を必要で、親方は職人を使うこともできる。職人から親方に昇格するには、3年間諸国を巡り歩き、技術を磨き、心を鍛えることが最低条件とされる。職人だけでなく、諸国を巡る学生の存在もあり、遍歴学生とか遍歴学者などとも呼ばれた。こういう制度を支えているのは、「旅は人を鍛える」という思想である。
 そのドイツで、19世紀末から20世紀初めにかけて、のちの時代に若者の旅に大きな影響を及ぼす動きが姿を見せた。ユースホステル活動と、ワンダーフォーゲル活動だ。小学校教師であるリヒャルト・シルマンが、夏休み期間の学校を子供たちの宿舎として開放して、子供たちの野外活動の拠点にしたいと考えたのが、ユースホステル活動の始まりである。のちに、学校だけでなく城も宿舎として開放され、その活動は世界各地へと広がっていった。
 ユースホステル活動が、当初小学生を対象としたのに対して、ワンダーフォーゲル活動は10代後半の、高学歴の若者が対象だった。大学入学前の若者たちに、速記を教える組織があった。速記は大学でノートをとるのに便利だったというだけでなく、会社や役所でも重要な仕事だったので、速記の技術があればかなりのカネを稼ぐことができた。速記学校の生徒を集めて野外活動を始めたのが、ワンダーフォーゲル(「渡り鳥」の意味)活動誕生のきっかけである。
 速記研究会を設立したヘルマン・ホフマンとその友人カール・フィッシャーが指導者となり、「ワンダーフォーゲル・学生遠足委員会」を結成したのが1900年だった。「遠足」という訳語にはなっているが、仲間とハイキングといった会ではなく、結社と言った方がよかった。古典教育への反発からうさ晴らし活動であり、鉄道という「近代文明」への反発もあり、山を歩いた。キャンプをして、歌をうたうといえば和やかなもののようだが、フィッシャーは厳しい規則と階級をこの会に持ち込み、「ハイル!」(万歳!)と挨拶しあう規則も作った。ワンダーフォーゲル活動をしていた少年が青年になると、OBを中心に「自由ドイツ青年団」を組織して、若者の教育を始める。1930年代になると、10~18歳の若者は「ヒットラー・ユーゲント」(ヒットラー青年団)に参加することが義務となり、ワンダーフォーゲル活動もこの組織に飲み込まれることになった。その時代に、立教大学に日本最初のワンダーフォーゲル部が誕生する。
 ユースホステルの歴史などの資料は、『ユースホステルに託した夢 リヒャルト・シルマン』(佐藤智、パレード、2006)や、『歩々清風 金子智一伝』(佐藤嘉尚、2003)などがあり、ドイツと日本の詳細な歴史がわかるのだが、これ1冊でワンダーフォーゲルの歴史がわかる本は見つからない。『ドイツ青年運動―ワンダーフォーゲルからナチズムへ』(ウォールター・ラカー著、西村稔訳、人文書院、1985)が比較的わかりやすく書いてあるものの、分量としては足りない。ドイツになにも興味がないし、知識もないのだが、乗りかかった船だから、このところ20世紀前半のドイツ社会史の本などを読むことになってしまった。ドイツは、「まったく行く気のない国」のひとつなのだが、そういう国に関する本をまとめて読むようになるとは思わなかった。