1034話 ワンダーフォーゲルの事などから その5


 戦前期の若者の旅のヒントをつかみたくて、『梅棹忠夫著作集 第1巻 探検の時代』(中央公論社、1990)を買った。箱入りの、600ページ弱の重い本だ。
 この本で、梅棹少年が熱心に読んだ旅の本のことを書いている。子供向きのリビングストンやアムンゼンの本は読んでいるが、強い刺激を受けたのは、橘南谿(たちばな・なんけい 1753~1805)だった。江戸時代の医者であり博物学者であり、紀行作家でもある。各地を旅して、地形、動物、植物、民俗などを調べて、『西遊記』『東遊記』などを書いた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%98%E5%8D%97%E8%B0%BF
 京都の旧制高校である三高の図書館のカードで、『新西域記』という本を見つけた。橘南谿の『西遊記』からの連想で、「とにかくこれはおもしろそうだとおもって、かりだしてみました。おどろいたことには、これはずいぶんおおきな本で、しかも二冊本なのです。おもさも二冊で一〇キロをこえていたようにおもいます」。
 その重い本は、京都の西本願寺大谷光瑞が率いた、大谷探検隊の報告書だった。カラコルム中央アジア探検の写真をみて、「わたしはたいへん感動したのであります」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%85%89%E7%91%9E
 梅棹は子供のときは、高山よりもヒトが住む地に興味があったらしいとわかる。目的地であるA地点に向かって、わき見などせず、ひたすら突き進んでいく旅よりも、目的地周辺の自然景観や住民の文化なども調べるという旅だ。
 この著作集第1巻でもっとも印象に残ったのは、京大の学生組織の機関紙「親学」(1956年1月号)に頼まれて書いた「旅する青年」という文章だ。1955年にカラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参加した梅棹が、旅先で出会った若者たちの話を、京大の学生たちに語るという内容だ。
 アフガニスタンのヘラートで、若い旅行者4人と出会った。ドイツ人の男3人は兄弟で、化学者、医者、建築を学ぶ大学生。女は長兄の「いいなずけだったかもしれない」。この4人が「トランスポート型のフォルクスワーゲン」、つまりワーゲンバスでドイツからやって来て、このあとインドをめざす。前年は、この4人で北アフリカ旅行をしたという。「わたしは、こういう私的な旅行をたのしみうるこの人たちを、ほんとうにうらやましくおもった」。この時、梅棹忠夫、35歳。
 梅棹は、各地で自動車で旅をしている人たちと出会う。イギリス人夫婦ふた組が、それぞれの車でイギリスからインドをめざしていた。ドイツ系アメリカ人ふたりも、ドイツから車でアフガニスタンにやって来た。梅棹はインドで、自転車旅行中のベルギー人の若者にも出会った。
 「もちろんいうまでもないが、こういうひとの旅行目的は、ただの見物である。なにも公的な使命をもっていない。わたしたちは、戦時中からのくせで、なにか特別の目的がないと旅行してはいけないというような錯覚をもっているが、各国の旅行手つづきの書類の目的の欄に、ただのtourismとかいて、それでおおきい顔でとおるのである」
 この時代の日本では、政府に対して「立派な旅行目的」を明示できなければ日本を出ることが許されなかった。梅棹たちのように、研究者たちが学術探検隊を組織した理由は、それぞれの知的好奇心だけでなく、パスポートを取るために、大義名分が必要だったからであり、それは同時に、自費ではまかなえない費用を集める根拠でもあった。日本人は、こんなに大変な思いをして外国に出てきたのに、この旅で出会ったヨーロッパ人たちは旅行目的を「観光」と書くだけでいい。それだけで、気軽に自由に旅できる。梅棹は、それがなんともうらやましかったのだ。
 「学生諸君だって、これからは、たとえば国際会議の学生代表みたいなかたちで外国へゆくひとも、ぽつぽつふえてくるとおもう。そういうときには、ちいさな紳士のような旅行をしないで、アジアでもヨーロッパでもよい、ついでに自転車旅行をやってくることだ。たかいホテルなんかにとまる必要はない。青年は青年の宿泊所をみつけることができる」
 日本人が、旅行目的を「観光」と書くだけで、パスポートがとれるようになるのは、1964年4月からだ。海外旅行の自由化だ。京大探検部の学生のなかには、自由化以前にも、パスポートを取るために大義名分をでっちあげて日本を出て、放浪の旅に出た者もいた。卒業後、朝日新聞記者となり、『インド同時代』(めこん)などを書いた吉村文成さんもそのひとりで、吉村さんとは旧知の関係だが、学生時代の話を聞いたことがなかった。そこで、近々会って昔話をうかがう約束をした。その前に、今日届いたアサヒ・アドベンチュア・シリーズの1冊、『アメリカ大陸たてとよこ』(吉村文成・嶋津洋二、朝日新聞社、1964)を読んでおかなければ。
 それからもう1冊、三高時代の梅棹忠夫は仲間とともに朝鮮の白頭山に登っている。朝鮮は日本の植民地だとは言え、戦前の高校生が海外登山をしたという記録、『白頭山の青春』(梅棹忠夫・藤田和夫、朝日新聞社、1995)も今日届いたので、この本の話もいずれ書くことになるだろう。