1037話 スポーツの問題


 私はあらゆるスポーツに興味がないので知識もないのだが、それでもテレビやラジオの情報に接して、「それは変だ。おかしいぞ!」と思うことがある。素人の疑問や感想に、スポーツファンの意見を聞きたい。
 以前、このアジア雑語林で「スポーツアナウンサーがしゃべりすぎる」と書いたことがある。私が古舘伊知郎を大嫌いなのは、空間恐怖症となって間を詰めてしゃべるのを自慢としているからだ。それはともかく、相撲の話からするか。
 稀勢の里横綱に決まった直後のニッポン放送で、高田文夫は「よかったなあ、稀勢の里。やっぱり、横綱は日本人じゃなきゃだめだよな」と言ったが、その発言がネットで話題になることもなく、それが日本人、自称「愛国的」ニッポン人の常識であり、相撲をとりまくマスコミの常識でもあるから、スポーツ新聞に「日本人横綱誕生!」の見出しが躍る。小錦朝青龍白鵬も、そういう日本にいらだち、切なくなり、怒りを覚えるという感情を表に出すと、「だから、外国人力士はだめなんだよ。心技体がわかっていない」などと批判の攻撃を与える。
 「ニッポン人横綱」への期待が高く、稀勢の里はその期待に応えようと無理をした。その結果横綱になれたものの、傷が深く休場が続いている。
 日本人力士がそれほど素晴らしいのならば、初めから日本人だけでやればいい。「5代さかのぼって日本人だと証明できるものだけが入門できる」という規定を設ければ、「親方は日本人に限る」という現在の規定の必要なくなる。日本人だけで相撲を取っていれば、当然横綱も日本人になる。そうやって相撲がすたれていき、能のような伝統芸能になればいいのだ。外国人も労働者の枠に入れるが、正当に扱わないという点では、外国人労働者の問題と同じなのだ。
 スポーツには、ジャーナリズムはほとんどないと思う。「大記録達成!万歳!」「ニッポン、チャチャチャ!」と叫んでいるだけで、批評はほとんどない。8月の暑い日に、「こんなに暑くて、東京オリンピックの選手は大丈夫か。8月にオリンピックはないだろ。アメリカのごり押しだ」などと批判する人はいるが、その日も、高校生が炎天下で野球をやっていることには批判はしない。高校野球の興業主がマスコミだからだ。日頃「反日朝日」などと攻撃している右翼も、甲子園に街宣車を繰り出したりはいない。球場で死者がでない限り、炎天下の野球は続くだろう。延長再試合を美談に仕立て上げるのだから。
 次も野球の話。野球ファンはどう思うのか。
オールスター戦などで、「正々堂々、真っ向直球勝負です」などというアナウンスを聞くと、変化球はコソクな球か、ヒキョウな勝負なのかと言いたくなる。よく打たれる150キロ台の直球よりも、なかなか打たれない100キロそこそこのヒョロヒョロ球の方がいいに決まっている。しかし、世間の評価は逆だろう。球は早ければそれだけで価値があるというのが、野球ファンの評価なのだろうか。速ければいいのは、陸上や水泳で、野球じゃないはずだ。
 バレーボールでもサッカーでも、フェイントというのがあるが、あれもヒキョウか?ルール通りにゲームを進めているのならば、それは正々堂々の勝負だと思うのだが、スポーツファンではない私には、そのあたりのことはわからない。
 今、夕方のラジオを聞きながらこの文章を書いているのだが、「今夜は大変重要なゲームになります」と、アナウンサーが叫んでいる。野球放送のいつもの予告だ。毎日、「今夜は、大変重要な・・・」とオオカミ少年放送を繰り返している。
 話題は変わるが、東京の日本橋上の高速道路撤去が再び話題になっている。この問題について、すでに2006年にコラム(161話)を書いているので、再読ください。まともな意見だと思うんだがなあ。