1050話 イタリアの散歩者 第6話

 あっ、転んだ!

 パレルモの2日目の朝、車道から歩道に上がろうとしてつまずいて、転んだ。左手をついたとき、「まずい!」と思った。もし、手首を捻挫したら、あるいは悪くして骨折したら、これからの旅をどうしようと、0.1秒ほどの間に考えた。足にも手首にも、痛みはない。これも、0.1秒でわかった。
 突然転んだので驚いたが(まあ、転ぶときはいつも突然だろうが)、もっと驚いたのは歩道にいた人がみな心配そうに私を見つめて近づき、アフリカ人の若者が「OK?」と言って、手を差し伸べてくれたことだ。路上で心配された経験がないので、こういう体験にもびっくりしつつ、大きな声で「グラッツィエ」(ありがとう)といった。「グラッチェ」はケーシー高峰語で、イタリア語では「ツ」を強く発音する。
 転んだ理由は、わかる。メガネのせいだ。飛行機の中ではほとんど眠らずに映画を見ていたせいで、目が疲れて、小さな字が読めなくなった。数年前から、目が疲れると、本が読めなくなっている。老眼が進んだせいだ。
 初めて遠近両用メガネを作ったのは15年ほど前で、老眼の先輩である母は、「遠近両用は、景色がゆがむから、怖くて歩けない」と言って、せっかく作った遠近両用メガネは一度も使わなかった。私も心配をしていたのだが、初めて作った遠近両用かつ乱視に調光ガラスレンズのメガネは、店で受け取って2分でなじんだ。
ここから先は、老眼旅行者のために、詳しく書く。退屈だと感じたら、あなたはまだ若い。
 15年前に作ったメガネの老眼部分が合わなくなり、フレームも傷んできたので、旅の予備メガネという意味もあって、新しく作った。これが合わないのだ。初めはプラスチックレンズだから、像がゆがむのだと思った。安いからダメなのかとも思った。強度の近視と乱視と老眼だから、メガネは必需品だ。高額になってもいいから、今度はちゃんとしたメガネを作ろうと思い、かなりの金額の現金を用意して、信頼できる店に行った。
 店員の解説はこうだ。15年前に作ったメガネは実によくできたバランスで作られているのだという。だから、老眼部分だけを強くすると、バランスが崩れて、中遠距離がゆがんでしまう。その結果が、作ったばかりのこのメガネだ。
「だから、日常は今までのメガネを使い、本を読むときは老眼専用のメガネを使うといいと思いますよ」
 「ということは、新しく作らなくていいということですか?」
 「はい、そうですね。その方がいいと思います。老眼に合わせれば、新しく作ったこのメガネと同じようにゆがみます。それで事故でも起きたら大変ですし、ウチで買っていただいても、『合わない』と不満を感じると思います」
 そういう忠告を受けたのに、今回の旅の予備メガネをして持ってきた。そのうちに慣れるだろうと、甘く考えていたのだ。機内で、本を読みたくて、新しく作ったそのメガネに代えたのだ。本が読めるようにはなったが、翌日の朝、遠近感がつかめなくなって、歩道のヘリにつまずいたというわけだ。
 若いころは、遠近両用レンズのメガネをかけて、まだ旅をしている姿を想像したこともない。自分が老いると考えてたこともない。ふらふらと旅するのは、若者の旅だと思っていた。かつてリュックを背負って旅していた若者は、老人になればもう旅をしないか、あるいはゆったりとツアーで旅しているだろうと思っていたに違いない。「旅をやめたら、旅行会社をやりたい」という若者がいて、「オレは、ゲストハウスをやろうかと考えているんだけど」といった会話が安宿で交わされていた。若者は、いつか旅をやめた日のことを考えていたが、私は旅をやめるなどと考えたことがない。
 老いを悲しむ感情はない。まだ荷物を持って1時間でも歩けることを喜んでいる。ヒザは多少痛いが、たいしたことはない。腰痛はない、頻尿ではない。もうすでにこの世にいない友人たちのことを思うと、まだ旅ができる自分の境遇を、素直にうれしく思う。
 メガネを取り替えて、その日も十数キロ歩いた。


 パレルモの街散歩も写真をいくつか。市場では、カキやショウガも売っている。野菜や果物に興味がある人向けに、写真を大きくしておきましょう。