1051話 イタリアの散歩者 第7話

 山のすそを見に行く


 パレルモはもう少しおもしろい場所かと思ったが、なんだかしっくりこない。こんなことなら、モロッコかスペインに行けばよかったなどと思い始めると、もういけない。イタリアに対する不満が沸き上がって来る。
 気分を転換するために、普段なら絶対行かない王宮に行ったものの、やはり「ああ、カネをドブに捨てたな」とがっかりした。教会や宮殿などの、ゴテゴテの美術が本当にいやだ。今回の旅では、パレルモ以後この手の施設には近づかないことにした。街もおもしろそうじゃない。イタリアの街は楽しいという予感がなかったから、35年もイタリアを再訪しなかったのだと気がついた。
 イタリアを旅してわかったことは、イタリア南部はギリシャとローマなどの古代文明と、中世のキリスト教美術の遺産で飯を食っているという事実で、それは大地主の末裔が、土地を駐車場に貸して月々の地代を得て、屋敷を博物館にしているようなものだ。博物館は昔からある物をただ展示しているだけのことで、倉庫と大差ない。それでも客が来るから、カネも頭も使わない。そういう予感がイタリア1日目にあり、旅を終えて、その予感が確信に変わった。この話は、いつか詳しく書く。
 街歩きはおもしろくないので、パレルモ2日目は山すそを見に行った。パレルモはふたつの山並みの間に挟まれた街で、私の部屋からも、山がすぐ目の前に見える。標高数百メートルの山だろうが、山の峰にも斜面にも、人工物は一向に見えない。香港のように、山肌にアパートがへばりついているわけではない。退屈しのぎに、街から山にかわるヘリを見に行こうと思った。部屋から見ればすぐ近くに見える山でも、おそらく歩けば1時間くらいかかるだろうが、どうせ時間はたっぷりあるのだ。
 街の北に川があった。その脇に線路がある。川と線路にかかる橋を渡ると、建物が新しくなり、新市街という感じになった。それまでの店舗併用住宅が1階からすべてアパートになり、山のヘリが見えた。予想通り、1時間ほどの散歩だった。


 この地図のように、パレルモは山に挟まれている。


 大通りの向こうに、山が迫る。


 部屋からも、山が。すぐ近くに見えるので、歩いてみることにした。


 ここが山のすそ。山肌に一切の人工物がない。

 散歩の収穫はただひとつ、道端にあった内臓屋だった。各種内臓をゆでて、氷の上にのせてある。持ち帰り客が多いが、その場で食べることもできる。豚足を見たら動けないタチなので、豚足と舌を指さして注文した。壁に作り付けのカウンターを指さし、「ここで食べる」という意思を示した。
 プラスチックの皿に豚足と舌が出てきたが、どうも違うな。豚足だと思ったのだが、よく見ると違う。食べてみると硬い。豚足ではなく、牛足だ。塩ゆでした内臓類をひと口大に切って、皿に盛り、たっぷりのレモンをかけてある。味は悪くないし臭みもないのだが、塩レモン味だけで、山盛りの牛足と舌を食べるのはつらい。飽きてくるのだ。ここが韓国だったらなあと、あり得ない空想をした。韓国なら、アミの塩辛、醤油、ニンニク、トウガラシ、などをつけて食べる。さぞかし、うまいだろうな。網であぶったら、もっとうまくなるだろうな。タイでも、網焼きにするか、和え物にするか。様々な調味料とハーブを加えるだろう。私が刺身をあまり好きではないのは、終始醤油とワサビだけの味に飽きてしまうからだ。
 これもまた、イタリアの旅を通しての不満だった。発酵食品とスパイスに対する欲求が常にあった。塩だけの料理では不満なのだ。日本料理を食べたいという欲求はないが、トウガラシへの欲求は強い。スペインでは、酢漬けのトウガラシがあったし、毎日変化に富んだ食事ができたのに・・・。ああ、また、「スペインが良かった」という話になってしまった。


 れが内臓屋。清潔で、親切なのだが、塩とレモンだけでは、やはり飽きる。ああ、網で焼きたい。