1053話 イタリアの散歩者 第9話

 ナポリ、狂乱の夜 その1


 バーリを朝出たので、ナポリには昼前に着いた。駅近くの安宿を探す。あらかじめ調べてあった安宿の1軒目に行ってみると、一番安い部屋でも予算をはるかに超える高額だったので、断念。2軒目は満室。3軒目も満室。さて、困った。これで手元の安宿資料は尽きた。
 駅の近くに安宿があるだろうという予感があって、ホテルの看板を探して街を歩くと、古びたビルの入り口に、”B&B”(Bed&Breakfastのこと)という小さな看板が2枚、壁に張り付いていた。パレルモのように、アパートを利用した安宿だ。マドリッドでも、こういう安宿を利用していた。
 昔は馬車が出入りしたに違いない中庭に通じる扉は開いていて、守衛室に人がいた。守衛の男は、背広の男と話しているところだ。私は、指で上をさし「上に行きます」と、ジェスチャーで示した。背広の男が「どこへ?」と英語で聞いてきたので、「B&Bへ」と答えて、階段を上がった。
 B&Bその1、満室。B&Bその2、ここも満室。すごろくの「ふりだしに戻る」だ。
荷物を肩に階段を降り、再び守衛室の前を通る。「満室でした」と、結果報告をして出ようとしたら、背広の男が、「奥にもう1軒あるよ」といった。背広の男と守衛は何やら話をして、守衛は電話をかけて、うなずいた。「OK」のサインらしい。「そのエレベーターで5階。B&Bがありますよ」と、背広の男が別棟の建物を指さす。私が歩き出すと、「待った、10セントが要るんだよ」。
 何のことかわからずポカンとしていると、「エレベーター代が10セント」と背広の男が言うと、守衛がポケットから10セントコインを取り出し、私に手渡した。事情がよく分からないままエレベーターに乗ろうとすると、中南米の先住民のような顔つきの母子がすでに乗っていて、ボタンを押しているがエレベーターは動かない。母は、助けを求めるような顔で私を見た。
 エレベーターの壁に金属の小さな箱があり、コインを入れる穴が開いている。有料エレベーターというのは、生まれて初めてだ。10セントは、約14円だ。コインを投入すると、エレベーターのドアが閉まり、動き出した。そのとき、イタリアに来て初めて、あのセリフを耳にした。
 “Mamma Mia!”(マンマ・ミーア!
 直訳すれば「おかーちゃん!」だが、イタリア人が驚いた時に発する言葉で、「なんてこった」、「なんなの、それ!」、「マジかよ!」、「ウッソー!」、「うわー、すごい」、その他、好きな日本語に翻訳するといい。


 これが、有料エレベーターのコイン投入機。上の突起部分にコインを入れる。

 私がそのB&Bに行くことは守衛からの電話でわかっていたようで、ドアは開け放たれていて、もちろん部屋はあった。よく手入れされた部屋で、歓迎され、しかも想像していたよりもかなり安かった。ハイシーズンで30ユーロは安い。シャワーとトイレは共同だが極めて清潔。朝食付き。部屋はおそろしく広い。「学生の団体が来るときは、ベッドを6台は置けるから」とオーナーがいうくらい広い。
 窓を開けると、ナポリ駅前のジェゼッペ・ガルバルディ広場が見える。駅まで歩いて3分。ここでしばらく過ごすことにした。
 宿のオーナーのリビアさん(LIVIAだが、ヴが嫌いなので、リビアと書く)によれば、この守衛のおっちゃんとはしょっちゅう世間話をしている間柄なので、部屋を探している旅行者が表れたので、私のためにすぐに電話してくれたのだそうだ。エレベーターは、朝は無料で利用できる。それ以外の時間を有料にしたのは、室内を汚す者が多いので、清掃代という名目で有料化に踏み切ったのだという。


 窓からはナポリの駅前広場が見える。ビルに隠れて見えないが、左手にナポリ駅が。