1056話 イタリアの散歩者 第12話

 ナポリ、狂乱の夜 その4


 35年前のあのときもガイドブックを持っていなかったから、駅周辺で安宿を探したはずだ。英語の本か雑誌がないかと、駅の売店に行ったことを覚えている。現在の駅は2005年以降のもので、昔の駅は古く暗かったが、それが古ぼけていたという記憶はない。売店には、英語の本も雑誌も新聞もなかった。
 宿に美人がふたりいたのは覚えている。そういうことはよく覚えていて、よく笑うふたりだった。英語はほとんどしゃべれなかったと思う。宿代は筆談でやり取りしたと思う。その時代はユーロではなくリラだったから、数字が大きい。多分ホテル代を英語では言えなくて、筆談になったような気がする。
 「passaporto」と言われて、パスポートのことだとすぐわかったというのも覚えている。ナポリ名物の、路地に舞う洗濯物の風景もよく覚えている。食堂の前を通りかかったら、三枚におろした生のイワシが皿に盛ってあって、そそられるままに食堂に入って、イワシを指さし注文したら、丼一杯のイワシが来て、しかも多分ワインビネガーにちょっと漬けてあって、酢に強くない私は閉口したのを覚えている。ふたりの男が、タニシのような巻貝で一杯飲んでいる光景に出会ったこともある。このときもふらふらと食堂に誘い込まれて、店のオヤジにその巻貝を指さし注文したら、「ひとりじゃ多い、これを食え」とばかりに、巻貝を一握り皿にいれて、「ほら、食え」。英語で話したわけじゃないから、会話は想像だ。若いということは、そういう恵みに出会う事でもある(もう、若くはなかったが、気分は若者だった)。食べ物の記憶は比較的覚えている。他に覚えていることは、ローマの記憶と混ざっていて、「これがナポリ」と限定できない。
 ギリシャからイタリアに来ると、田舎から大都会に出てきたような気分だった。ショーウインドーの商品のデザインが、ギリシャとは明らかに違って見えた。そうだ、値札にはリラだから、やたらに数字が多かったのは覚えている。2000円が100000リラ程度だったと思うので、値札を見ると頭がクラクラするが、買い物などしないので困ることはなかった。
 あのころのナポリの街並みはまったく覚えていないが、なんとなく昔よりも汚くなったような気がする。観光客は昔よりもはるかに多く、移民も多いので、人込みは昔以上なのだが、街はさびれたような感じなのだ。建物にホコリと煤がこびりついている。散歩しているときは、いつもビルの角を見て、道路名表示を確認するというのがスペイン以来のクセなのだが、ナポリではあまりうまくいかなかった。そもそも表示板がない。表示板があった形跡はあるが、取れたままになっている。表示板はあるが、汚れていて読めない。そういうナポリになってしまったような気がする。普通なら、街ゆく人が少なくなって、街がすっかり寂れるのだが、ここでは人だけが増えて、街が置き去りになっている。街の維持に税金が使われていないのだ。
 街がどんどん新しくなっていくアジアに慣れていると、汚くなっていくだけのイタリアの街が気になる。新しければそれでいいとはまったく思わないが、イタリアは遺産を持て余しているように見える。


 高級ホテルは建っているが、どーってこともないサンタルチア地区の海岸。


 ナポリと言えば、洗濯物。路地では旗のごとく頭上にたなびく。


 ナポリ遠景。ケーブルカーに乗れば、香港のような楽しい旅になるかと思ったが、地下を走ったので景色が見られず。そのあとの登った丘からの眺め。

イタリアのあと、ギリシャに戻り、トルコに行き、またギリシャに戻る途中立ち寄った小島で、船の乗り換えのために、30時間ほど滞在したことがある。暇つぶしに困り、アメリカ人旅行者が読み終えたヘラルド・トリビューン紙をもらって、隅から隅まで読んだ。そのなかの書評欄を今、思い出した。”A Pale View of Hills”という本にも、Kazuo Ishiguroという著者にも心当たりはなかったが、日本人の名前と長崎が舞台という設定に、「なんだろ、この人」と思い、著者略歴も読んだ。その本が彼の最初の長編小説だった。これも1982年のことだ。



 ナポリ駅の向こうに立ちふさがるのは、ベスビオ山(1281m)。望遠で撮っているから、実際はこんなに近くはない、念のため。