1068話 イタリアの散歩者 第24話

 「イタリア料理」は新しい 〜ピザとスパゲティの話 その1
    ピザはなかなか全国区の食べ物にはなれなかった。

 「スパゲティがイタリア料理の代表的存在になったのは、ここ数十年のことだ」という私の仮説を食文化研究者たちに話すと、誰もが「そんなわけはないよ」と否定されたが、今も私の方が正しかったと思う。スパゲティだけでなく、ピザも同様だ。イタリアを旅しながらずっと考えていたことなので、この話をこれから10回ほど書くことにする。単行本の書き下ろしではなく、小文の連載なので、意識的に重複した内容にしている。
 『ねじ曲げられた「イタリア料理」』(フェブリツィオ・グラッセッリ、光文社新書、2017)は、いままで誰も書いてこなかったイタリア食文化の本で、大いに刺激され、参考になった。我々が「これがイタリア料理」と理解している料理、トマトとニンニクとオリーブオイルをたっぷり使った料理は、イタリア全土への普及ということで考えれば、その歴史は浅いというのだ。別の言い方をすれば、北イタリア人である著者の「それが代表的イタリア料理か?」という異議申し立てがこの本である。世間で「イタリア料理」と思われているのは、南イタリア料理であって、ちょっと前まではイタリア全体を代表するものではなかったという主張だ。
 著者は1955年、北イタリア、ミラノのそばのクレモーナの生まれの建築家で、日本在住。この出生年と出身地は重要だ。
 著者の子供の頃の記憶をたどる。1960年代から70年代にかけての話だ。祖父はトマトソースを使ったピザやスパゲティを生涯口にしなかったと思うと書く。「おじいさんの頭の中の『食べ物』のメニューに、トマトやトマトソースの料理は入っていなかった。それがあの年代に、北イタリアのミラノあたりに生まれた人の、ごく普通の感覚だったのだ」。つまり、その時代の北イタリアでは、トマトを使った赤いイタリア料理は一般的ではなかったということだ。ということは、北イタリアではピザもトマトソースのスパゲティも普通の料理ではなかったということだ。
 北イタリアにピザがなかったわけではない。著者は少年時代、地元にできた「ターヴォラ・カルダ・ピッツェリア」で初めてピザを食べたという。タヴォーラ・カルダというのは、直訳すれば「熱いテーブル」で、英語ならカフェテリアだ。「シックスティーズアメリカ映画によく出てくるアメリカンバーみたいな感じの店」だと説明する。おそらく、アメリカン・グラフィティーに出てきそうな店なのだろう。アメリカのカフェテリアをイタリアに作ったような店で、それが戦後のイタリアだった。そこで食べた「ピッツァとかいう一切れの食べ物は、熱くて何だか妙にフニャフニャしたものだった」。それは現在のピザとは違い、「巨大な鉄板の上で焼かれ、それから縦30センチ、横20センチ角ぐらいに切り分けられる。生地の厚みは3センチくらいと結構あるが、スポンジーで非常に軟らかいものだった」。ピザは他にも、「鉄板で焼いた、円くて直径25センチぐらいの、トマトソースにアンチョビがのったもの」もあった。
 1970年代初めに、私が初めて六本木でピザを食べたちょっと前に、北イタリアに住んでいた少年も、生まれて初めてピザを食べたのだが、それも私同様アメリカ風だった。
 北イタリアのピザは、アメリカから入ってきたという歴史が、この本で詳しく解説されていくので、深く知りたい人はこの本を読んでほしい。『ピザの歴史』(キャロル・ヘルストスキー、田口美和訳、原書房、2015。原著は"Pizza:A Global Histry by Carol Helstosky、2008)も参考にしつつ、ピザの歴史を簡単に書いてみよう。
 ピザの歴史は、ピザの定義によって大きく違う。平たいパンに何かをのせた物と定義すれば、地中海周辺の地域では古代からある。ピザを、小麦粉の生地に、トマトソース、オリーブオイル、モッツァレラ(水牛の乳から作ったチーズ)を使った物という定義なら、学者によっていろいろな説はあるものの、19世紀以降ということになるらしい。誕生地は、南イタリアナポリだ。ピザは労働者向けの安い食べ物として誕生した。マルゲリータ王妃にちなんだピザ・マルゲリータ(トマトソースの赤、チーズの白、バジルの緑でイタリア国旗を表したと言われているピザ)が生まれたのは、1898年である。
 新大陸から持ち込まれたトマトがヨーロッパで食べられるようになるにはかなりの時間がかかり、労働者向けの安い食べ物にも使われるようになのはもっと遅い。ということは、現在のようなピザの誕生は、19世紀後半あたりという説が妥当かもしれない。
 今書いた話は、ピザを語る記事にはたいてい紹介されているのだが、いままでほとんど書かれなかった事実がある。だから誤解が生まれたのだ。ピザが生まれたのはナポリであるという事実を、その後すぐにイタリア全土に広まり、100年以上前からイタリアを代表する食べ物になっていたと誤解している人が多い。ピザはナポリで生まれたが、ナポリ近辺からからなかなか出ることはなかったのだ。ナポリ以外の土地、特に北イタリアに住む人々がピザを口にするようになるのはずっと後になってからなのだ。ピザは、ながらくナポリの郷土料理だったのである。


 イタリアでは、こういうピザ屋がもっとも数多い。あらかじめ焼いたピザを、ひと切れ買う。日本風に言えば、立ち食いそばである。