1072話 イタリアの散歩者 第28話

 「イタリア料理」は新しい 〜ピザとスパゲティの話 その5
    スペインやタイでも、国民料理が

 ピザがイタリア全土に広がるのは、1970年代末から80年代。外国人が考えるイタリア料理が完成するのがその時代だといったことが書いてある『ねじ曲げられた「イタリア料理」』を読んでいて、スペインやタイでも、同じだったとわかった。
歴史学者が書いた食文化の本、『世界の食文化 スペイン』(立石博高、農山漁村文化協会、2007)は刺激的な本だった。スペインの入門書としても名著だと思う。
 1950年代に入っても、スペインは依然として貧しかった。50年代末でも、水道のない家が50パーセント、浴室のない家が75パーセントだった。北部の住民は、トウモロコシの粉でやっと飢えをしのいでいた。貧しさゆえに、チーズやタマゴの代わりに魚を食べ、ラードの代わりにオリーブオイルを使った。スペイン北部では、ラードの代用品として、しかたなくオリーブオイルを使ったのである。
 スペイン内乱後、独裁政権の批判を受け続けていたフランコ政権は、経済封鎖を受けて、ヨーロッパ各地への出稼ぎに頼るしか収入の道はなかった。今の北朝鮮のような状況だ。1960年代になって経済事情が好転した。観光の時代に入ったからだ。アメリカ人や、経済的に立ち直った西ヨーロッパの国民が、スペインへ観光旅行にやって来た。「太陽と情熱の国」の誕生だ。そこで、スペインは観光客を喜ばす「スペイン料理」を作り出すことを考えた。
 スペイン北部の食文化は、フランスの影響を強く受けていた。オリーブオイルやトマトを日常的に使うのは南部の海岸寄りだけで、北部では油はラードだった。外国人が、「これがスペイン料理だ」と思うパエーリャは、もともとバレンシア地方の料理だった。カタツムリ、ウサギやニワトリの肉などを入れた米料理だったが、観光客の好みに合わせて、魚貝類を入れることにした。アンダルシアのフラメンコを、マドリッドバルセロナで見せるレストランシアターのようなものができるのも、この時代だ。外国人観光客に対応するために今日「これがスペイン料理だ」と理解されているような料理がつくられたのだ。踊りと音楽と料理が、スペインのイメージを作った。
こういう事情は、タイでも同じである。ツアーに組み込まれている「タイ古典舞踊を見ながらタイ料理の夕べ」に使われるレストランシアターで、外国人観光客のためのタイ料理が誕生し、海外のメディアの手で、「これがタイ料理」と紹介された。マドリッドバルセロナのフラメンコバーも、これと同じ歴史的背景があり、同じ食文化史の構造なかで登場したものだ。
 『ねじ曲げられた「イタリア料理」』によれば、イタリアでは食用の油といえば獣脂(ラードやヘッド)で、オリーブオイルはランプ用に使っていたという。オリーブオイルが食用として利用され始めるのは19世紀に入ってからのことで、瓶詰などの形で商品になるのは、19世紀の終わりから20世紀初めのことだという。それでも、重要な食用油は依然としてラードやバターで、特に北イタリアではオリーブオイルの地位は低く、「1960年代になると、そこにヒマワリなどの種から採った油と、マーガリンが入ってくるようになる」という状況だった。
 オリーブオイルがそれほど使われていなかったイタリアの食生活が一気に変わるのは、アメリカのせいだ。地中海式食事(Mediterranean diet)が健康的だという考えは、1970年代からアメリカで話題になっていたようだが、一気に流行するのは、1990年代なかばにハーバード大学の公衆衛生大学院が提示してからだ。
 オリーブオイル、とくに「エクストラ・バージン・オイル」というものに関心が集まり、イタリアでも健康のためにオリーブオイルを使うようになった。イタリアで料理に積極的にオリーブオイルを使うようになるのは、アメリカの影響だったというわけだ。オリーブオイル=健康という図式だ。台北のスーパーマーケットの食用油の棚は、半分がオリーブオイルだったのに驚いたことがある。その話は、アジア雑語林567話に書いた。
 というわけで、北イタリアで、ピザや、トマトとオリーブオイルを使った料理がごく普通の食べ物になるのは、1980年代ごろかららしい。外国人が思い浮かべる「イタリア料理」は、その程度の歴史しかないのだ。オリーブオイルのブームと並んで、「赤ワインは健康にいい」ということから「ポリフェノール」がキーワードになったり、バルサミコ(酢)も流行も、「健康にいいイタリア料理ブーム」ひとコマである。
 ピザと並ぶ代表的なイタリア料理であるパスタはどうだ。スパゲティの歴史は、次回から。



 スペインの名物料理、イカ墨のパエジャ(パエリア)も、その歴史は極めて新しい。